続きです。
〈本文〉
その中の人、現(うつ)し心あらむや。或(あるひ)は煙に咽びて倒れ伏し、或は焔にまぐれてたちまちに死ぬ。或は身ひとつ、からうじて逃るるも、資財を取り出づるに及ばず。七珍万宝(しっちんまんぽう)さながら灰燼(くわいじん)となりにき。その費(つひ)え、いくぞばくぞ。そのたび、公卿の家十六焼けたり。ましてその外、数へ知るに及ばず。惣(すべ)て都のうち、三分が一に及べりとぞ。男女死ぬるもの数十人、馬・牛のたぐひ辺際(へんさい)を知らず。
人の営み、皆愚かなるなかに、さしも危ふき京中の家をつくるとて、宝を費し、心を悩ます事は、すぐれてあぢきなくぞ侍る。
〈juppo〉忙しくなってきました。皆さん、等加速度直線運動の調子はいかがですか。微分を習っていないのに瞬間の速さを求めなければいけないのは何故なんだろう、なんてことを思いつつ、私も頑張っています。
安元の大火の続報をお届けします。人より牛や馬に被害が出ています。当時の人口ですから、今だったら被害は倍増するかも知れません。今だったら防火設備もあるので必ずしもそうとは言えないかも知れませんが。
今も昔も、人口が集中する都市部に住むのは便利でステイタスだけど何か災害でも起きたら危険だ、というのは変わらないのですね。そんなところに住むのはバカみたいだ、と鴨長明さんは黄昏れていらっしゃいます。
悲惨なシーンが多かったので、ちょっと後半ふざけてしまいました。悪意はないんです。ご容赦ください。
燃えたものは元通りにはならないので、皆さんも火の元には充分お気をつけくださいね。
ところで先週、ブログを更新したあと帰宅すると、家の前にパトカーが停まっているんですよ。
「えっ!いったい何が!?」と玄関に走ると、家の中では何も起きていない様子。両親はもう寝ています。
あー、良かったぁ・・・て、それはいいけど、こんなところに停められたら私の車が駐車出来ないではないか、と思い、パトカーを覗くとエンジンはかかっているのに誰もいません。
しかたないので、110番通報しました。
警察に電話するなんて生まれて初めてです。それで、初めて知ったのですけど、携帯からかけるとつながった瞬間にGPSの情報が送信されて、いちいち居場所を言う必要がないのですね。
「自宅の前にパトカーが停まっていて駐車できないんですけど。」と言ったら「呼び出してみます。」という対応で、待つことしばし。
どこまでパトロールに行ってるんだぁ・・と待ちかねていると、意外なことにうちの向いの家からお巡りさんが出てきました。呼び出すのには時間がかかるようです。
お巡りさんは「すみません〜。ごめんね〜。」と言いながら、パトカーを退かしてくれました。
「何かあったんですか?」と聞きたい気持ちを押さえつつ、ちょっと上から「うちの車の後ろにつけて(停めて)いいですよ。」と言ったのですが、パトカーって住宅街の路地で見ると思いのほか巨大で、結局もっと広いところに移動させたみたいでした。
向いの家で何があったのかはよく分からないのですけど、一人暮らしのお婆さんが泥棒に入られた、と通報したらしいです。
日本の警察は親切だなぁ、と改めて思いました。皆さんも、何かあったら110番。でもイタズラ電話はしないでくださいね〜。
2010年05月23日
2010年05月17日
安元の大火@
リクエストにお応えします。久々の、『方丈記』です。
〈本文〉
予(われ)、ものの心を知れりしより、四十(よそぢ)あまりの春秋(しゅんじう)をおくれるあひだに、世の不思議を見る事ややたびたびになりぬ。
去(いんし)、安元三年四月(うづき)廿八日かとよ。風烈(はげ)しく吹きて、静かならざりし夜、戌(いぬ)の時(とき)許(ばかり)、都の東南(たつみ)より火出で来て、西北(いぬい)に至る。はてには朱雀門(すざくもん)・大極殿(だいこくでん)・大学寮(だいがくれう)・民部省(みんぶしゃう)などまで移りて、一夜のうちに塵灰(ちりはい)となりにき。
火(ほ)もとは、樋口富(ひぐちとみ)の小路(こうじ)とかや。舞人(まひびと)を宿せる仮屋(かりや)より出で来たりけるとなん。咲き迷ふ風に、とかく移りゆくほどに、扇(あふぎ)をひろげたるがごとく末広になりぬ。遠き家は煙(けぶり)に咽(むせ)び、近きあたりはひたすら焔(ほのほ)を地に吹きつけたり。空には灰を吹き立てたれば、火の光に映じて、あまねく紅(くれない)なる中に、風に堪へず、吹き切られたる焔、飛ぶが如くして一ニ町を超えつつ移りゆく。
〈juppo〉ふと気づくともう中間テストシーズンなんですか。この間春休みが始まったとばかり思っていたら。
『方丈記』を描くのは久しぶりなので、鴨長明さんをどんなキャラに描いていたか、原稿の束から「行く川の流れ」を引っぱり出して思い出したりしました。
今回はカラーでお届けします。カラーにしないとつまらない絵になりそうだな、ということが描く前に分かったので。
安元三年は、1177年くらいです。そのころにあった、京の大火事の話ですね。樋口富小路がどの辺か分からないのですが、朱雀門以下の建造物は、天皇の住まいがある内裏を取り囲む、大内裏の北の方に位置していた門とか省とか寮なんですね。そのへんまで燃えてしまったのですね。
風の強い夜で、日本の家屋はこの頃紙と木で出来ていたので、あっという間に燃え広がったのでしょうね。
描きながら思い出していましたが、うちは火事になった事があります。もう子どものころのことなんですけどね。留守だったので家族にケガ人こそ出なかったものの、飼っていたセキセイインコと金魚が死んでしまったり、水浸しの玄関に、押し入れに入っていたはずのお雛様の頭がなぜか浮かんでいたり、思い出すのはやっぱり哀しいことですね。
その時までの思い出が渾沌としてしまう、という点にも火事の哀しさがあるんですよ。思い出の品が、どこにしまったっけ、あ、焼けたんだ、なんて再確認する時に。
「火事になった事がある」というとなぜか失笑を買ったりするので話したくないエピソードになってます。見た目ほど、おもしろくないです。火事は。
後半は火事の被害についての続報です。うちのではありません。
しばしお待ちください。
〈本文〉
予(われ)、ものの心を知れりしより、四十(よそぢ)あまりの春秋(しゅんじう)をおくれるあひだに、世の不思議を見る事ややたびたびになりぬ。
去(いんし)、安元三年四月(うづき)廿八日かとよ。風烈(はげ)しく吹きて、静かならざりし夜、戌(いぬ)の時(とき)許(ばかり)、都の東南(たつみ)より火出で来て、西北(いぬい)に至る。はてには朱雀門(すざくもん)・大極殿(だいこくでん)・大学寮(だいがくれう)・民部省(みんぶしゃう)などまで移りて、一夜のうちに塵灰(ちりはい)となりにき。
火(ほ)もとは、樋口富(ひぐちとみ)の小路(こうじ)とかや。舞人(まひびと)を宿せる仮屋(かりや)より出で来たりけるとなん。咲き迷ふ風に、とかく移りゆくほどに、扇(あふぎ)をひろげたるがごとく末広になりぬ。遠き家は煙(けぶり)に咽(むせ)び、近きあたりはひたすら焔(ほのほ)を地に吹きつけたり。空には灰を吹き立てたれば、火の光に映じて、あまねく紅(くれない)なる中に、風に堪へず、吹き切られたる焔、飛ぶが如くして一ニ町を超えつつ移りゆく。
〈juppo〉ふと気づくともう中間テストシーズンなんですか。この間春休みが始まったとばかり思っていたら。
『方丈記』を描くのは久しぶりなので、鴨長明さんをどんなキャラに描いていたか、原稿の束から「行く川の流れ」を引っぱり出して思い出したりしました。
今回はカラーでお届けします。カラーにしないとつまらない絵になりそうだな、ということが描く前に分かったので。
安元三年は、1177年くらいです。そのころにあった、京の大火事の話ですね。樋口富小路がどの辺か分からないのですが、朱雀門以下の建造物は、天皇の住まいがある内裏を取り囲む、大内裏の北の方に位置していた門とか省とか寮なんですね。そのへんまで燃えてしまったのですね。
風の強い夜で、日本の家屋はこの頃紙と木で出来ていたので、あっという間に燃え広がったのでしょうね。
描きながら思い出していましたが、うちは火事になった事があります。もう子どものころのことなんですけどね。留守だったので家族にケガ人こそ出なかったものの、飼っていたセキセイインコと金魚が死んでしまったり、水浸しの玄関に、押し入れに入っていたはずのお雛様の頭がなぜか浮かんでいたり、思い出すのはやっぱり哀しいことですね。
その時までの思い出が渾沌としてしまう、という点にも火事の哀しさがあるんですよ。思い出の品が、どこにしまったっけ、あ、焼けたんだ、なんて再確認する時に。
「火事になった事がある」というとなぜか失笑を買ったりするので話したくないエピソードになってます。見た目ほど、おもしろくないです。火事は。
後半は火事の被害についての続報です。うちのではありません。
しばしお待ちください。
2007年11月30日
行く川の流れA
続きです。
〈本文〉
所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、ニ、三十人が中に、わづかに一人二人なり。朝(あした)に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。
知らず、生まれ死ぬる人、いづ方より来たりて、いづ方へか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、主(あるじ)と住みかと、無常を争ふさま、いはばあさがほの露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。
〈juppo〉期末テストも近いので、早めに続きをアップしました。
人も家も、朝顔と露の関係みたいなものだ、と言われると虚しさ倍増ですよね。まぁそんなもんなので、あんまり虚飾な生活に執着するなよ、という警告と受け止めましょう。
朝顔と露のように、何もかもそこには留まってはいない、「無常」(全てのものは永久ではない)という考え方がこの冒頭部分のみならず、『方丈記』全体の主題なのだそうです。これまたテストに出そうです。
本文4〜6行目の、「知らず、・・・。また知らず、・・・。」は、倒置法になっていて、「・・・を知らない。」などと訳します。
寒いですけど、皆さんテスト頑張ってくださいね
〈本文〉
所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、ニ、三十人が中に、わづかに一人二人なり。朝(あした)に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。
知らず、生まれ死ぬる人、いづ方より来たりて、いづ方へか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、主(あるじ)と住みかと、無常を争ふさま、いはばあさがほの露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。
〈juppo〉期末テストも近いので、早めに続きをアップしました。
人も家も、朝顔と露の関係みたいなものだ、と言われると虚しさ倍増ですよね。まぁそんなもんなので、あんまり虚飾な生活に執着するなよ、という警告と受け止めましょう。
朝顔と露のように、何もかもそこには留まってはいない、「無常」(全てのものは永久ではない)という考え方がこの冒頭部分のみならず、『方丈記』全体の主題なのだそうです。これまたテストに出そうです。
本文4〜6行目の、「知らず、・・・。また知らず、・・・。」は、倒置法になっていて、「・・・を知らない。」などと訳します。
寒いですけど、皆さんテスト頑張ってくださいね
2007年11月28日
行く川の流れ@
初登場、方丈記の冒頭です。
〈本文〉
行(ゆ)く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある、人と住みかと、またかくのごとし。
たましきの都のうちに、むねを並べ、いらかを争へる、高き、卑しき、人の住まひは、世々(よよ)を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋(たづ)ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年(こぞ)焼けて今年作れり。あるいは大家(おほいへ)滅びて小家(こいへ)となる。住む人もこれに同じ。
〈juppo〉『枕草子』、『徒然草』と、この『方丈記』で三大随筆と言うのだそうです。テストに出そうです。
『方丈記』の筆者は鴨長明です。長明さんは晩年、すったもんだがあって日野山というところで隠とん生活を送ります。そこに建てた庵(いおり・小さい小屋みたいな家)が一丈四方(一丈は約3m)だったので、その庵で書いたこの随筆のタイトルは『方丈記』になりました。なんてーことを、私も漫画を描きながら学んでいるのですよ。
「方丈」とは「1平方丈」ということだったんですねぇ。今なら『三坪記』とか『1K記』なんかが出来そうですね。出来なくてもいいですけど。
人や家や町は、川の流れのようにうつろいやすく、いつまでも変わらないものなんてない、という話です。いつまでも変わらないものは、やっぱり「愛」だけなんでしょうか。
続きは後日。
〈本文〉
行(ゆ)く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある、人と住みかと、またかくのごとし。
たましきの都のうちに、むねを並べ、いらかを争へる、高き、卑しき、人の住まひは、世々(よよ)を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋(たづ)ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年(こぞ)焼けて今年作れり。あるいは大家(おほいへ)滅びて小家(こいへ)となる。住む人もこれに同じ。
〈juppo〉『枕草子』、『徒然草』と、この『方丈記』で三大随筆と言うのだそうです。テストに出そうです。
『方丈記』の筆者は鴨長明です。長明さんは晩年、すったもんだがあって日野山というところで隠とん生活を送ります。そこに建てた庵(いおり・小さい小屋みたいな家)が一丈四方(一丈は約3m)だったので、その庵で書いたこの随筆のタイトルは『方丈記』になりました。なんてーことを、私も漫画を描きながら学んでいるのですよ。
「方丈」とは「1平方丈」ということだったんですねぇ。今なら『三坪記』とか『1K記』なんかが出来そうですね。出来なくてもいいですけど。
人や家や町は、川の流れのようにうつろいやすく、いつまでも変わらないものなんてない、という話です。いつまでも変わらないものは、やっぱり「愛」だけなんでしょうか。
続きは後日。