2020年04月26日

若紫(北山のかいまみ)E

皆さんお元気ですか!私もマスクを作り始めました。「かいまみ」、ついに最終回です。
〈本文〉
「この世にののしりたまふ光る源氏、かかるついでに見たてまつりたまはんや。世を棄(す)てたる法師の心地にも、いみじう世の愁(うれ)へ忘れ、齢(よはひ)のぶる人の御ありさまなり。いで御消息(せうそこ)聞こえん」とて立つ音すれば、帰りたまひぬ。
 あはれなる人を見つるかな、かかれば、このすき者どもは、かかる歩(あり)きをのみして、よくさるまじき人をも見つくるなりけり、たまさかに立ち出づるだに、かく思ひの外(ほか)なることを見るよ、とをかしう思す。さても、いとうつくしかりつる児(ちご)かな、何人ならむ、かの人の御かはりに、明け暮れの慰めにも見ばや、と思ふ心深(ふか)うつきぬ。
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〈juppo〉前回、源氏の訪問を聞きつけた坊さんは今回、ミーハー気質満開で「見に行こうぜ!」と女性たちを誘っています。時々思うんですけど、古文に登場するお坊さんたちって、ノリがいいですよね。現代のお坊さんたちの中にも、ロックコンサートを開く方がいたり、ノリはそれぞれだと思いますが、およそ「僧侶」に連想される落ち着きはらった悟りの境地にいる人のイメージから遠い坊さんが古文にはよく出てくるなぁ、と思いませんか。

 源氏のことを「光る源氏」と呼んでいますが、変換ミスではありません。「光源氏」がフルネームなのではなく、「光」はもともと「光りかがやく君」と呼ばれたことからくる形容詞なんですよね。

 ノリノリな坊さんの呼びかけに応えて女性たちが自分を見に来るぞ、と察した源氏はとっとと退却してます。つつ、偶然見かけた美女を思い出して幸福感に浸っているようです。自分が「すき者」である自覚はあるようです。誰もが「すき者」である必要はないと思いますが、こうして嬉しいことをつくづく思い出して幸せな気持ちになれるというのは、大事なことですよね。日頃気分が沈む経験や腹立たしい出来事が頭の中を占めてしまうような時でも、大なり小なり幸せな記憶を呼び起こして自分を慰められたら、いいと思います。眠れない時も楽しいことを思い出すといい、と元SMAPのクサナギくんが言ってました。

 守備範囲の広さには定評のある光源氏ですが、祖母と孫である尼君と若紫両人とも射程内に納めています。若紫のことを、藤壺の代わりに、と考えていますが、父・桐壺帝の中宮、つまり奥さんである藤壺に想いを寄せる源氏は、このとき里に下がっているとかで会えないその人にちょっと似てる若紫に惹かれてしまったのですね。実は若紫の父親が藤壺の兄なんですって。若紫は藤壺の姪なんですね。似てるワケです。

 源氏が幼女の面影で胸をいっぱいにしたところで、この章はとりあえず終了です。続きとか、ここに至る前とか、描く機会があればまたいずれ。

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材料は古着や古布。
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マスクの備蓄はまだあるんです。最近あまり外出もしないので減らないし。単に作りたかったので作りました。こういう事態になると、不恰好なマスクでも恥ずかしくなく使えますしね。
posted by juppo at 18:23| Comment(2) | 源氏物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月19日

若紫(北山のかいまみ)D

日々、不安や不満や不便が募る一方ですが、できる限り穏やかに、健康的に過ごしたいですね。続きです。
〈本文〉
またゐたる大人、「げに」とうち泣きて、

 初草(はつくさ)の生ひゆく末(すゑ)も知らぬ間に
   いかでか露の消えんとすらむ

と聞こゆるほどに、僧都(そうづ)あなたより来て、「こなたはあらはにやはべらむ。今日(けふ)しも端(はし)におはしましけるかな。この上(かみ)の聖(ひじり)の方(かた)に、源氏の中将の、瘧病(わらはやみ)まじなひにものしたまひけるを、ただ今なむ聞きつけはべる。いみじう忍びたまひければ知りはべらで、ここにはべりながら御とぶらひにもまうでざりける」とのたまへば、「あないみじや。いとあやしきさまを人や見つらむ」とて簾(すだれ)おろしつ。
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〈juppo〉前回は出てきませんでしたが、この場面には尼君と若紫の他に何人か、大人や子どもがいたんです、そういえば。その中の一人が、前回尼君が詠んだ和歌に返歌をしています。
 そこへまた唐突に坊さんが登場します。この坊さんの言う「この上の聖」云々についても、以前描いています。 「瘧病」についてもそちらで説明しています。「おこり」とか「熱病」とか、今でいう「マラリア」などと解釈されます。源氏がその「おこり」の治療に行者に会いに行った、その帰りのエピソードだったんですね〜このシーンは。
 超お忍びで来たからこの坊さんは知らなかったと言いつつ、もう聞き及んでお知らせにあがった模様です。
 「人や見つらむ」と慌てて簾を下ろす尼君です。源氏が来てるということは、関係者もいて人の通りも多いかもしれない、ということを心配したのかな、と思います。源氏本人が覗いているとは恐らく、知る由もないかと。


 さて普段通りの活動ができない今、「おうちで〇〇」が盛んですね。動画などを見ながら運動したり踊ったり、皆さんもしていますか。
 私が師事するバレエの先生も、この度YouTuberデビューなさって動画の配信を始めましたのでご紹介します。ストレッチの参考になれば。

https://www.youtube.com/watch?v=hPhXIUW5qxc

https://www.youtube.com/watch?v=wVIwSmMolhs

私はこれでYouTubeもテレビ画面で視聴しています。
posted by juppo at 13:29| Comment(0) | 源氏物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月12日

若紫(北山のかいまみ)C

ずっと家にいると、寝る時間がどんどんずれてきますね。通販にハマったりしていませんか。私は危ういです。引き続き「源氏物語」です。
〈本文〉
 尼君、髪をかき撫(な)でつつ、「梳(けづ)ることをうるさがりたまへど、をかしの御髪(ぐし)や。いとはかなうものしたまふこそ、あはれにうしろめたけれ。かばかりになれば、いとかからぬ人もあるものを。故姫君は、十ばかりにて殿に後(おく)れたまひしほど、いみじうものは思ひ知りたまへりぞかし。ただ今おのれ見棄(みす)てたてまつらば、いかで世におはせむとすらむ」とていみじく泣くを見たまふも、すずろに悲し。幼心地(をさなごこち)にも、さすがにうちまもりて、伏し目になりてうつぶしたるに、こぼれかかりたる髪つやつやとめでたう見ゆ。

 生(お)ひ立たむありかも知らぬ若草を
   おくらす露ぞ消えんそらなき
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〈juppo〉前回までお届けした「明石の姫君の入内」にも登場した、紫の上の幼少時代のお話です。このころは「若紫」と呼ばれます。「わかむらさき」と読んでみると、なんだかご飯のお供を思い出します。それは「江戸むらさき」。
 タイトルがいきなりCなのは、以前Bまで描いたからです。スズメを逃がされて半泣きの若紫が初登場、というところまで描いて、詳しい訳が見つかったら続きを描くとかなんとかなまま、いつものように放置していました。

 最近、このブログを書籍化してくださっているKSTプロダクションの時岡さんが、漫画にする古文の原文を手配してくれるので、リクエストされて漫画化していない作品のリストを送って原文を入手したところ、そのリストに入れてないのにこの原文が送られてきたのです。「お描きやす」ということかな、と忖度して描きました。

 以前描いた前半で、若紫と尼君をつくづく覗き見る源氏は「この尼の子」だと判断していました。今回やんわり判明しますが、若紫は尼の孫のようです。「故姫君」が尼君の娘なんですね。

 最後の和歌、「ありか」とは若紫が成長したのちに嫁ぐ相手のことで、「若草」と「露」は縁語になってます。「若草」が若紫を、「露」が尼君自身のことを意味しているのですね。

 続きます。Eまであります。
posted by juppo at 02:02| Comment(0) | 源氏物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月29日

明石の姫君の入内E

コロナとともに回を重ねてきましたが、最終回です。
〈本文〉
 大臣(おとど)も、長からずのみ思さるる御世のこなたにと思しつる御参り、かひあるさまに見たてまつりなしたまひて、心からなれど、世に浮きたるやうにて見苦しかりつる宰相の君も、思ひなくめやすきさまに静まりたまひぬれば、御心落ちゐはてたまひて、今は本意(ほい)も遂げなんと思しなる。対の上の御ありさまの見棄(みす)てがたきにも、中宮おはしませば、おろかならぬ御心寄せなり。この御方にも、世に知られたる親ざまには、まづ思ひきこえたまふべければ、さりともと思しゆづりけり。夏の御方の、時々にはなやぎたまふまじきも、宰相のものしたまへばと、みなとりどりにうしろめたからず思しなりゆく。
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〈juppo〉最終回に来て急に、源氏は出家について考えに耽っています。この6回分だけ読むと急ですが、ここに来るまでにずっと考えていたことなんでしょう。なんでも父の帝が亡くなった頃から考えてたそうです。それがいつ頃のことか、この辺だけ読んでもわからないのが残念ではあります。

 出家の弊害になっているのは自分を取り巻く人々の行く末なんですね。その人たちがそれなりに良きところにおさまって心配ないことを見定めて、決心が固まったようです。
 その人たち、中宮とか夏の御方とか、これまた急に登場しますが気になる方はもう1度エピソード0の人物相関図でお確かめください。

 次回作はぼちぼち準備中です。しばしお待ちくださいね。


 ところで、自宅にいる時間が増えると、テレビ視聴時間も増えますよね。私はことさら増えてないですけど。今までも長時間見てたので。
 Eテレの「旅する〇〇語」を全部見ている私ですが、今期の「旅するイタリア語」がとても良かったのでオススメです。俳優の小関裕太くんがシチリアでイタリア語を学ぶ姿勢が何しろ素晴らしい。明るく、積極的に、習った語はどんどん使う。好奇心と、なんとか現地の人と会話しようという態度、間違えても前向き。語学学習のお手本のような番組です。3月で完結しましたが4月からすかさず再放送されるので見てください。イタリア語に興味がない人でも楽しめると思います。私自身、イタリア語を学ぶ気はさらさらなかったのですけど、半年見てるうちにいくつかフレーズを覚えてしまいました。そして小関裕太くんのファンになってしまいましたよ。
posted by juppo at 02:59| Comment(0) | 源氏物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月22日

明石の姫君の入内D

あれも中止、これも中止。ブログは続けますのでよろしくお願いします。
〈本文〉
おほかたの寄せおぼえよりはじめ、なべてならぬ御ありさま容貌(かたち)なるに、宮も、若き御心地に、いと心ことに思ひきこえたまへり。いどみたまへる御方々の人などは、この母君のかくてさぶらひたまふを、瑕(きず)に言ひなしなどすれど、それに消(け)たるべくもあらず。いかめしう、並びなきことは、さらにもいはず、心にくくよしある御けはひを、はかなきことにつけても、あらまほしうもてなしきこえたまへれば、殿上人なども、めづらしきいどみ所にて、とりどりに、さぶらふ人々も、心をかけたる女房の用意ありさまさへ、いみじくととのへなしたまへり。
 上もさるべきをりふしには参りたまふ。御仲らひあらまほしううちとけゆくに、さりとてさし過ぎもの馴れず、侮(あなづ)らはしかるべきもてなし、はた、つゆなく、あやしくあらまほしき人のありさま心ばへなり。
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〈juppo〉家にいてばかりで身体がなまってきますね。私はスマホのアプリを使ってストレッチしています。それと著しく曜日の感覚がなくなってきました。テレビ番組が頼りですが特番の多いこの時期は注意が必要です。金曜日なのにチコちゃんがなくて「ファミリーヒストリー」だったりすると、週末感が薄れまくりです。
家にいれば安心であっても、気を引き締めて生活しないといけませんね。

 さて「明石の姫君の入内」も5回まで来て残すはあと1回です。古文にはよくある「文に主語がない」問題がこの箇所では顕著です。特に「とりどりに、さぶらふ人々も〜なしたまへり」の部分、よくわからないまま描きましたが、「さぶらふ人々」は殿上人に仕える女官たちのことで、「心をかけたる女房」は「心をかけたる」が姫君のことで、「女房」は姫君に仕える女官のことですよね。そして「ととのへなしたまへり」は、明石の君がその女官たちを仕込んでいる、てことですね。あーややこしい。

 ところで3コマ目はちょっと遊びました。このブログの漫画はいつも「マル描いてちょん」な絵でお届けしていますが、楽に描けるからそういう絵でやっているだけで、描こうと思えばこんな絵も描けるんだからぁ、という気持ちが時々抑えられなくなって遊んでしまいます。念のために姫君です、これ。

 そういうわけで次回はいよいよ最終回です。土曜日深夜に「おしん」一週間分まとめ放送を見ながら最近は更新していましたが、今日で終了なんですよねぇ。来週は「はね駒」まとめ放送を見ながらになるのでしょうか。
posted by juppo at 00:32| Comment(0) | 源氏物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月15日

明石の姫君の入内C

自分が普通に生活していても、行動範囲が狭められてはいます。続きです。
〈本文〉
またいと気高(けだか)う盛りなる御けしきを、かたみにめでたしと見て、そこらの御中にもすぐれたる御心ざしにて、並びなきさまに定まりたまひけるも、いと道理(ことわり)と思ひ知らるるに、かうまで立ち並びきこゆる契りおろかなりやはと思ふものから、出でたまふ儀式のいとことによそほしく、御輦車(てぐるま)などゆるされたまひて、女御(にようご)の御ありさまに異(こと)ならぬを、思ひくらぶるに、さすがなる身のほどなり。
 いとうつくしげに雛(ひひな)のやうなる御ありさまを、夢の心地して見たてまつるにも、涙のみとどまらぬは、ひとつものとぞ見えざりける。年ごろよろづに嘆き沈み、さまざまうき身と
思ひ屈(く)しつる命も延べまほしう、はればれしきにつけて、まことに住吉の神もおろかならず思ひ知ら流。思ふさまにかしづききこえて、心及ばぬこと、はた、をさをさなき人のらうらうじさなれば、
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〈juppo〉ただでさえ行動範囲が制限されているところに、この土曜日東京はまさかの雪。不本意ながら引きこもる週末です。

 紫の上と明石の君は、隔たりなく相対している間にもお互いをじっくり観察して思いを巡らせているのですね。今回は特に、明石の君が紫の上と自分を比較して落ち込んだり安堵したりしています。一コマごとに揺れ動く乙女な心の明石の君は、「枕草子」で中宮様に相対している時の清少納言さんを思い起こしますね。私の描くキャラがほとんど同じだからそう見えるのかもしれませんけれども。

 唐突に「住吉の神」に感謝していますが、明石の君はこの神様に毎年参詣していたことがあったようです。神頼みは祈るだけでなく、成就した暁には感謝の念を忘れないことが肝心ですね。

 「をさをさ」は「めったに」とか「ほとんど」という意味で、「らうらうじ」は「才気がある」というような意味です。
 明石の姫君の可愛らしさも並大抵でないようですが、母である明石の君もタダモノではない、出来た女性なんですね。
posted by juppo at 00:48| Comment(0) | 源氏物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月08日

明石の姫君の入内B

実は私はあまり危機感を持たずに普通に生活しています。花粉症も今年は軽い方なので、マスクもしないでしのいでます。家にまだマスクはあるんですけどね。
〈本文〉
 御参りの儀式、人の目おどろくばかりのことはせじと思しつつめど、おのづから世の常のさまにぞあらぬや。限りもなくかしづきすゑたてまつりたまひて、上(うへ)はまことにあはれにうつくしと思ひきこえたまふにつけても、人に譲るまじう、まことにかかることもあらましかばと思す。大臣(おとど)も宰相の君も、ただこのこと一つをなん、飽かぬことかなと思しける。三日過ごしてぞ、上はまかでさせたまふ。
 たちかはりて参りたまふ夜(よ)、御対面あり。「かくおとなびたまふけぢめになん、年月のほども知られはべれば、うとうとしき隔ては残るまじくや」となつかしうのたまひて、物語などしたまふ。これもうちとけぬるはじめなめり。ものなどうち言ひたるけはひなど、むべこそはとめざましう見たまふ。
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〈juppo〉もっとも私の普通の生活には満員電車に乗ったり、人の多いオフィスにいる時間が長い、なんて場面がもともとないので、生活を大きく変える必要がないのですね。感染予防のためとはいえ、不自由を強いられている方には申し訳ないほどです。

 姫君の育ての親と産みの親である、紫の上と明石の君が今回初対面です。お互いに姫の「母」としてお互いを意識しつつ、やはりその裏には源氏に「愛される人」としてのお互いを見てますよね。

 「飽かぬ」は「飽く」で、口語では「飽きる」ですが、もとは「十分だ」とか「満足する」という意味の語だったんですね。今の「飽きる」の意味で使うようになったのは江戸時代からだそうです。
 こんな風に、もとの意味と反対になってしまった言葉って他にもありますよね。今思いつかないですけど。もし時間を持て余していて興味があったら是非、調べてみてください。
 公共の施設はどこも閉鎖中で、家にいるしかない春休みなのかと思いますが、今はこうしてネットでも情報が得られる時代ですからねえ。PCやスマホにばかり向き合っているのはあまり良くないと思いますけども。
posted by juppo at 00:56| Comment(0) | 源氏物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月29日

明石の姫君の入内A

突然降って湧いた長すぎる春休み、皆様いかがお過ごしでしょうか。続きです。
〈本文〉
人の装束(さうぞく)何かのことも、やむごとなき御ありさまに劣るまじくいそぎたつ。尼君なん、なほこの御生(お)ひ先(さき)見たてまつらんの心深かりける、いま一(ひと)たび見たてまつる世もやと、命をさへ執念(しふね)くなして念じけるを、いかにしてかはと思ふも悲し。その夜は、上(うへ)添ひて参りたまふに、御輦車(てぐるま)にも、立ちくだりうち歩みなど人わるかるべきを、わがためは思ひ憚(はばか)らず、ただかく磨きたてたてまつりたまふ玉の瑕(きず)にて、わがかくながらふるを、かつはいみじう心苦しう思ふ。
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〈juppo〉全6回のうち、今回のみ6コマでお届けします。

 紫の上は源氏の正妻ではないようですが、表向き入内する姫君の母なので、花嫁の付き添いとして最前列に立つのは当然なのだけれども、明石の君としては姫の産みの母として、自分も劣らず姫君のために何かしたい、しかしながらそれが入内の汚点になってしまったら、と悶々としていますね。
 「いそぎたつ」はここでは「準備を始める」という意味です。「輦車」は人の手で引く車です。「立ちくだり」はランクが一段落ちることで、紫の上は車で参内するのに自分は歩いてついていかなければならない立場なのを、自分はイイけど姫にとってはどうかな、とあれこれ悩んでいます。手放した我が子にまた会うために長生きすることを念じていたのに、こんなことになるとは生きながらえたことすら心苦しいと。ままならないものですね。

 学校が休みになっても、人の多く集まるところには行けない、そもそもテーマパーク等も閉鎖中。家にずっといろと言われても・・・と、皆さんも明石の君同様頭を抱えていることと思います。何より、卒業やクラス替えでお別れになる友たちとこんな形で解散になるなんて、なんでこんなことになっちゃったの?な事態ですよね。災難としか言いようがないですが、予想外に得た時間をどうぞ有効に使ってください。このブログを隅々まで読んでみる、とか。
 そして何か思い出に残る春にできたらいいですね。感染が収束して、皆が笑顔で迎える春が1日も早く訪れることを祈りつつ、次回に続きます。
posted by juppo at 21:25| Comment(0) | 源氏物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月24日

明石の姫君の入内@

お待たせしました!いよいよ本編スタートです!!
〈本文〉
 かくて、御参りは北の方添ひたまふべきを、常にながながしうはえ添ひさぶらひたまはじ、かかるついでに、かの御後見(うしろみ)をや添へまし、と思す。上(うへ)も、つひにあるべきことの、かく隔たりて過ぐしたまふを、かの人もものしと思ひ嘆かるらむ、この御心にも、今はやうやうおぼつかなくあはれに思し知るらん、方々(かたがた)心おかれたてまつらんもあいなし、と思ひなりたまひて、「このをりに添へたてまつりたまへ。まだいとあえかなるほどもうしろめたきに、さぶらふ人とても、若々しきのみこそ多かれ。御乳母(めのと)たちなども、見及ぶ事の心いたる限りあるを、みづからはえつとしもさぶらはざらむほど、うしろやすかるべく」と聞こえたまへば、いとよく思しよるかなと思して、「さなん」とあなたにも語らひのたまひければ、いみじくうれしく、思ふことかなひはつる心地して、
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〈juppo〉このシリーズは全6回です。もう全部描きました。思いのほか時間がかかったのはやっぱり『源氏物語』だからです。や、や、こしいぃ。ちょっと何言ってるかわからない話が延々続くので、訳本にかなり頼りましたが、絵にする以上誰が誰に話してるのかとか、誰のことを思ってるのかとか、整理しないわけにいかず、誰のことかわかってみると新たに「それは一体誰」な疑問が浮かぶため、ウィキペディアの解説などにも当たりながら描きました。エピソード0で人物相関図を作っておいたのは結局その後自分のためにもなったのでありました。

 冒頭いきなり「かくて」で始まるのはその前にもいろいろなお話があったからですが、その辺は全く不勉強なまま描いています。多分、いろいろあって明石の姫君が東宮に入内することになったいきさつとか、それに関する話とか、あるいは全く別の場面の物語が綴られていたかもしれません。いずれ機会があればその辺もご紹介できたら。

 そういうわけで、入内する姫君が一応ヒロインなのかなとも思いますが、実はその実母の明石の君と、姫の育ての親である紫の上の両人がお互い気を遣いあい脚光を浴びあい、後ろで源氏がそれを見守る、というような章になってます。それほど大きな動きのあるドラマでもないです・・なんて初回にぶっちゃけてどうする。でもそんな感じです。

 ともかく次回は近いうちに。
posted by juppo at 23:10| Comment(0) | 源氏物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月31日

明石の姫君の入内⓪

あけましておめでとうございます、なんて挨拶が適当かどうかわからない月末です。リクエストにお応えします。今年は『源氏物語』からのスタートです!
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〈juppo〉今年は長年リクエストを放置していた「明石の姫君の入内」から描こう、といろいろ準備をしていたものの、徳勝龍をひたすら応援した初場所も終わってしまい、ブログを更新しないまま1月を見送りそうになったので、ブログ始まって以来の「エピソード・ゼロ」をお送りします。

 要するに人物相関図なんですけど、何しろ込み入っています。出てくる女性がほぼ全員源氏と関わりがあるくらいの知識で読んでも大丈夫だと思いますが、名前が唐突に出てきて「誰!?」とならないように、ある程度整理しておきました。分かる範囲で描いたので、皆さんも分かる範囲で理解してください。全員同じ顔に見えるかもしれませんが、顔だけで見分ける必要はないと思うのでご容赦ください。

 「入内」とはロイヤルファミリーに嫁として入ることです。明石の姫君は東宮(皇太子)のお嫁さんになるのです。東宮について詳しい家系図を描きませんでしたが、この方は桐壺帝の第一皇子・朱雀帝の第一皇子です。桐壺帝は源氏のお父さんですから、東宮は源氏の甥に当たるんですね。
 紫の上は以前「北山のかいまみ」でご紹介した、源氏が覗き見していた幼女です。この図の中だけでも源氏と結ばれている女性は複数いるんですけど、とりあえず一番愛してるのが現時点では紫の上のようです。
 破線の矢印で結んだ関係は「矢印元」が「矢印先」の「養子/養女/養母」になると解釈してください。必要条件・十分条件みたいです。

 そういうわけで、次回からいよいよ本編をご紹介します。とはいえ、まだ下描きが1枚入ったくらいなので、気長にお待ちくださいね。

 そうこうしつつ、母の介護は続いています。こちらも気長にやっています。新年早々転んで私の方がケガしたり、腰や肋骨を痛めたり、満身創痍でやってますが母は少しずつ元気を取り戻しております。私も今のところ、元気です!

 本年もどうぞよろしくお願いします。

 
posted by juppo at 22:22| Comment(0) | 源氏物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月28日

須磨の秋A

お待たせしました!続きです。
〈本文〉
げにいかに思ふらむ、わが身ひとつにより、親はらから、片時たち離れがたく、ほどにつけつつ思ふらむ家を別れて、かくまどひあへる、とおぼすにいみじくて、いとかく思ひしづむさまを心ぼそしと思ふらむとおぼせば、昼は何くれとうちの給ひまぎらはし、つれづれなるままに、いろいろの紙を継ぎつつ手習ひをしたまひ、めづらしきさまなる唐(から)の綾(あや)などにさまざまの絵(ゑ)どもをかきすさび給へる屏風(びやうぶ)の面(おもて)どもなど、いとめでたく見所あり。人々の語りきこえし海山のありさまを、はるかにおぼしやりしを、御目に近くては、げにをよばぬ磯のたたずまひ、二(に)なくかき集め給へり。「このごろの上手(じやうず)にすめる千枝(ちえだ)、常則(つねのり)などを召してつくり絵仕(つか)うまつらせばや」と心もとながりあへり。なつかしうめでたき御さまに、世のもの思ひ忘れて、近う馴れ仕うまつうるをうれしきことにて、四五人ばかりぞつとさぶらひける。
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〈juppo〉前回から何やら悩んでいる光源氏でしたが、今回も冒頭から悩んでいます。自分に仕えてくれている人たちの心情にまでシンクロして思い悩んでいます。さらに、自分がいじいじ悩んでいると周りの人が気を遣うのではと悩んでいるようです。いい人ですね、光源氏。モテるだけのことはありますね。その上、手慰みに始めたらしき絵や書にも才能を発揮しています。モテ男に死角なし、な場面ですね。
 前回は琴を弾くシーンもありましたが、そこで歌っていたのは物語中唯一、オリジナルの和歌なんですって。それ以外はほとんど、催馬楽(さいばら)という平安時代に流行っていた歌謡を歌っているらしいです。
 ・・という情報を、前回書くつもりで忘れていました。

 5コマ目で、都の人が海や山の様子を話していますが、これは『若紫』の中でこういうシーンがあるそうですね。知らずに描いています。いずれその場面も漫画にする日が来るのでしょうか。

 千枝と常則は村上天皇時代の絵師だそうです。常則さんは飛鳥部常則という名で、「栄華物語」にも登場しているとか、絵は残ってないけど評伝は伝わってるんですね。一方、千枝さんについての詳細は不明のようです。
 ともかく、そういう有名な画家を呼んできて、源氏の描いた線画に着色させてみたいものだ、と皆で褒めているところです。褒めているのかサービスコメントなのか、真偽はわからないですけど、ずっとお仕えしていた人たちのことですから、本気の賞賛なんでしょう。本文の「四五人」はもちろん、四、五人のことで四十五人ではありません。
 

P.S. ame先生、ありがとうございました!
posted by juppo at 18:25| Comment(0) | 源氏物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月16日

須磨の秋@

リクエストにお応えします。久しぶりに『源氏物語』です!!
〈本文〉
 須磨には、いとど心づくしの秋風に、海はすこし遠(とほ)けれど、行平の中納言の、関吹き越ゆると言ひけん浦波、よるよるはげにいと近く聞こえて、またなくあはれなるものは、かかる所の秋なりけり。
御前にいと人少なにて、うち休みわたれるに、ひとり目をさまして枕をそばだてて四方(よも)の嵐を聞き給ふに、波ただここもとに立ちくる心ちして、涙落つともおぼえぬに枕浮くばかりになりにけり。琴(きん)をすこし掻き鳴らし給へるが、我ながらいとすごう聞こゆれば、弾きさし給ひて、

 恋(こひ)わびてなく音(ね)にまがふ浦波は思ふかたより風や吹くらん

とうたひ給へるに、人々おどろきて、めでたうおぼゆるに、しのばれで、あいなう起きゐつつ、鼻を忍びやかにかみわたす。
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〈juppo〉『源氏物語』は苦手です。初巻の「桐壺」くらいなら何とかついていけるのですが、この辺のお話になると、今どのくらいの時期で源氏と誰が何をどうしているのか、さっぱりです。
 とりあえず、源氏は主人公ですよ。画像名はsmaですが、主人公は光源氏です。今さら紹介されてないですけど。
そして「須磨」とは今の神戸市須磨区に当たる、地名なんですね。
 
 なぜ源氏一行が須磨にいて、やたら悲しそうなのかもさっぱり分からないまま実は描いていましたが、今ちょっと調べたら、朧月夜との恋愛のために追い詰められた源氏が都から須磨に退去することになったとか何とか、だそうです。朧月夜はそういうわけで女性の名前ですね。源氏にはすでに息子がいて、その息子のためにも退去を決意したとか。このブログでご紹介している『源氏物語』は「若紫」ぶりなので、その時からはだいぶ時間が経っているようです。

 行平の中納言とは在原行平という人のことで、須磨に蟄居させられた経歴があり、そこで詠んだ歌が古今集などに入ってるんですね。「関吹き越ゆる・・・」の歌は、
 秋風の関吹き越ゆるたびごとに声うち添ふる須磨の浦波
というのだそうです。
 5コマ目は、涙の海に枕が浮いている様子を描いていますが、「枕浮く」という語が「枕が浮いてしまうほどたくさんの涙を流す」というような意味なのでその意味通りの絵にしただけで、実際にはこんなことは起こってないと思います。漫画とはそういうものですよね。

 描いてる本人があまり良くわかってないまま描いてるので、説明もおぼつかないですが、何しろ「源氏の身の上」とは都に残した愛する人や親しい人たちを思い出して悲しんでる身の上かな、なんて思って読んでください。
 続きがあります。もう1回。少しお待ちください。


 ところで!
前回の記事に書くつもりですっかり忘れてしまったまま、お知らせするのが1ヶ月遅くなってしまったのですが、お知らせです!

 『高校古文こういう話』の書籍化第三弾が発売になります!!

 ありがとうございます。皆さんのおかげで3冊目の本が出ます。発売日は11月中だと思われます。続報もお待ちください。
posted by juppo at 02:30| Comment(4) | 源氏物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月07日

若紫(北山のかいまみ)B

さらに、続きです。
〈本文〉
いづかたへかまかりぬる。いとをかしう、やうやうなりつるものを。烏(からす)などもこそ見つくれ。」とて、立ちて行く。髪ゆるるかにいと長く、めやすき人なめり。少納言の乳母(めのと)とぞ人言ふめるは、この子の後見(うしろみ)なるべし。尼君、「いで、あな幼(をさな)や。言ふかひなうものしたまふかな。おのがかくけふ・あすにおぼゆる命をば、なにともおぼしたらで、雀慕ひたまふほどよ。『罪得(う)ることぞ。』と常に聞こゆるを。心憂(う)く。」とて、「こちや。」と言へば、ついゐたり。
 つらつきいとらうたげにて、眉(まゆ)のわたりうちけぶり、いはけなくかいやりたる額(ひたひ)つき、髪(かん)ざし、いみじう美し。ねびゆかむさまゆかしき人かなと、目とまりたまふ。さるは、限りなう心を尽くしきこゆる人に、いとよう似たてまつれるが、まもらるるなりけりと思ふにも、涙ぞ落つる。
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〈juppo〉台風18号が凄い勢いで通り過ぎて行きましたが、皆さんのお住まいや周辺には被害がなかったでしょうか。私の住む町にも避難勧告が出ていたようですが、我が家は無事だったので、ただ家から一歩も出ずに引きこもっていました。
 
 「北山のかいまみ」はひとまず、ここで終了にします。この先がまだあるようなんですが、手が届く所にあった古文の参考書に載ってたのがここまでだったので。家宅捜索の後『源氏物語』の訳本を発掘したら、また続きが描けるかもしれません。

 最後のコマで「涙ぞ落つる」とありますが、ここで涙を落としているのは源氏本人なんですよね。実は。ここまで紫の上を見つめている源氏をうっとり♡バージョンで描いてしまったので、流れで源氏にはひたすら見とれていてもらい、源氏の藤壷への想いに涙する役を惟光にやらせてしまいました。
 藤壷というのは、源氏を生んだ桐壺の更衣亡き後に帝が愛した女御のことだそうで、要するに源氏は父親の愛人に思慕、というか情愛の念を抱いているのですね。その藤壷に、この子どもが似ているので余計に惹かれてしまった、ということらしいです。私が描くと皆同じ顔なので、似ているも似てないもないんですけど。
 何しろ、父の愛人からふと目にした10歳の幼女まで、守備範囲の広い光源氏であります。

 
 ところで先週、葛西臨海水族園に行って来ました。水槽の中で悠々と泳いでいるカメ。
IMG_0643.JPG
 帰りに車のナビが故障して、急遽地図と標識頼りに運転するハメになりました。ナビがない頃は前もって地図を確認したものですが、ナビがあると思うとどこに行くにも大して調べもせずに出発してしまうので、こんなトラブルがあると完全に迷子です。無事に帰宅できましたけどね。機械に操られてばかりいるのも考えものですね。
posted by juppo at 04:48| Comment(9) | TrackBack(0) | 源氏物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月04日

若紫(北山のかいまみ)A

続きです。
〈本文〉
清げなる大人(おとな)二人ばかり、さては童(わらは)べぞいで入(い)り遊ぶ。中に、十(とを)ばかりにやあらむと見えて、白き衣(きぬ)、山吹(やまぶき)などのなれたる着て、走り来たる女子(をんなご)、あまた見えつる子どもに似るべうもあらず、いみじくおひ先見えて、美しげなるかたちなり。髪は扇(あふぎ)を広げたるやうにゆらゆらとして、顔はいと赤くすりなして立てり。「何事ぞや。童べと腹だちたまへるか。」とて、尼君の見上げたるに、少しおぼえたるところあれば、子なめりと見たまふ。「雀(すずめ)の子を犬君(いぬき)が逃がしつる。伏籠(ふせご)の内にこめたりつるものを。」とて、いとくちをしと思へり。この、ゐたる大人、「例の心なしの、かかるわざをして、さいなまるるこそいと心づきなけれ。
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〈juppo〉さて、皆様お待ちかねの紫の上の登場です。あんまり可愛く描けなくてすみません。登場早々、おかんむりなので。
 雀の子を犬君が逃がしてしまったということなんですが、この部分、最初に読むと、犬が逃がしたの?と思ったりしますよね。犬君というのはここには登場してないんですけど、若紫の遊び相手の子なんですって。「伏籠のうちにこめたりつるものを」という言い方には本当に残念というか、恨みがましい感情がこもっているように感じますね。
 この場面、ただ源氏が幼い紫の上を見初めてしまうというだけのシーンなので、ここではその後どうしたということもないのですが、もう少し続きます。
posted by juppo at 03:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 源氏物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月29日

若紫(北山のかいまみ)@

『完璧帰趙』が途中過ぎるほど途中ですが、急遽、飛び入りのリクエストにお応えします。久々に、『源氏物語』です。
〈本文〉
 日もいと長きに、つれづれなれば、夕暮れのいたうかすみたるに紛(まぎ)れて、かの小柴垣(こしばがき)のもとに立ちいでたまふ。人々は帰したまひて、惟光(これみつ)の朝臣(あそん)と、のぞきたまへば、ただこの西面(にしおもて)にしも、持仏(ぢぶつ)すゑたてまつりて行ふ、尼(あま)なりけり。すだれ少し上げて、花奉(たてまつ)るめり。中の柱に寄りゐて、脇息(けふそく)の上に経(きやう)を置きて、いと悩ましげに読みゐたる尼君、ただ人(びと)と見えず。四十(よそぢ)あまりばかりにて、いと白うあてに、やせたれど、つらつきふくらかに、まみのほど、髪の美しげにそがれたる末(すゑ)も、なかなか長きよりもこよなう今めかしきものかなと、あはれに見たまふ。
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〈juppo〉『若紫』はいつぞや冒頭を描き始め、肝心の紫の上が全く姿を見せないほんの冒頭しか描かないまま、続きも近いうちに〜〜、なんて言いっぱなしにしたのがなんと、去年のことだったんですね!
 ふざけるなっ!て感じですけど、本人はホントにふざけてなんかいないんですよ〜。ただ時間が過ぎるのが速いだけなんですよ〜。

 この9月も、夏休みが終わったと思ったら台風が来たり火山が噴火したり、「逸ノ城スゲー・・」とか言ってる間に秋場所が始まって終わり・・そんな中、『若紫』の続きはないのか!!というリクエストをいただきましたので、順当に前回描いた所からの続きから描き始めるべきところですが、特にここを!という、そういえば参考書や教科書に載ってるのはこの箇所だな、てところを描きます。中断したところに直結しないので、サブタイトルをつけました。
 余談ですが、「かいまみ」と聞くと「後ろ指さされ組」の高井麻巳子ちゃんを思い出すのは私だけですか。
 もちろんここでは、「垣間見る」から来る「かいまみ」です。

 冒頭からこのシーンに至るまでに、この小柴垣現場は既に出てくるものと思われますね。小柴垣というのは、低い柴の木を編んで作った垣根のことだそうです。
 その小柴垣のある家の中に、なんか良さげな尼さんがいて・・・というところで今回はおしまいです。
 結局、ここまで来てもなお、紫の上になるべき人が出てこないのは誠に遺憾でありますが、今度こそ、その人が登場する所まで描きますので、続きをお待ちください。今度こそ、近いうちに描きます。

 それにしても逸ノ城はすごかったですねー。九州場所も目が離せませんねー。
posted by juppo at 00:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 源氏物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月18日

若紫A

気づいたら夏休みが終わっていました。気づいたら1ヶ月ブログを更新していませんでした。大変大変。
〈本文〉
 寺のさまもいとあはれなり。峰高く、深き岩の中にぞ、聖(ひじり)入りゐたりける。上(のぼ)りたまひて、たれとも知らせたまはず、いといたうやつれたまへれど、しるき御さまばれば、「あなかしこや。一日(ひとひ)召しはべりしにやおはしますらむ。今はこの世のことを思ひたまへねば、験方(げんがた)の行なひも捨て忘れてはべるを、いかで、かうおはしましつらむ。」と、驚き騒ぎ、うちゑみつつ見奉る。いと尊き大徳(だいとこ)なりけり。さるべきもの作りて、すかせ奉る。加持など参るほど、日高くさし上がりぬ。
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〈juppo〉あんなに暑かった夏が、何事もなかったように秋になりつつありますね〜。こんなに暑くなる日本の夏に、オリンピックが開催されて大丈夫なんでしょうか。7年も経ったら気温はもっと上昇して、連日40℃超えなんてことになっていないでしょうか。技術大国ニッポンのエンジニアリングで、猛暑の屋外スポーツも涼しく行い観戦できるハイテク設備がその頃には整っているのでしょうか。

 そんなことはともかく、「若紫」は1ヶ月でやっと2話めです。こんなペースでは小柴垣にたどり着くのはいつになるやら。年内を目指しますね。

 今回手こずったのは、冒頭から述べられている「寺のさま」なんです。「寺」と言っているのに、読み進めると「岩の中」になっていて、一体この聖は寺にいるのか、岩の中にいるのか、寺に岩が隣接しているのか、頭を抱えてしまいました。

 検索してヒントを探したところ、その場面を描いた絵を見つけましたので、2コマ目は実は模写です。そういう絵があったんです。
 その絵を見る限り、聖のいる穴のあいた岩を指して「寺」と言っているのだな、と解釈出来ます。こんな岩山を寺にしているのかー、と感心している感じでしょうか。

 更に読み進めると、源氏の君が粗末な格好をしているということが分かりました。「いたうやつれ」というのは病気でやつれているという意味にも取れますが、ここでは「身なりを粗末にする」という意味なんだそうです。
 しまった。粗末な身なりに描いてなかった・・・と思ったのも後の祭りですが、祖末も豪華もそんなに違わない絵柄なので、ここはご容赦を乞うところであります。

 「さるべきもの」を「すかせ」たというのは、要約すると護符を飲ませた、ってことだそうです。護符はお守りのことですが、今でも護符の用い方としてそれを口に入れることはあるみたいですね。

 そういう訳でやっと念願の聖に会ってご祈祷をしてもらったと。まだ、続きます。


 ところで、私はその後、ミシンを結局購入しました。電子ミシンというアレです。電子ミシンはさすがにハイテクです。ものすごく縫いやすいです。さくさく縫って、作りかけの手提げは完成しました。今使ってます。IMG_0276.JPG

 もひとつところで、この日曜日、私と母は両国国技館に大相撲秋場所の初日を観戦しに行ってきました!
 ついにライブで取り組みを見に行くほど自分が相撲好きになるとは、若い頃には考えられませんでした。普通若い女性というのは、デブが裸で組んずほぐれつするスポーツなんて好きにならないと思うのですが、どうでしょう。
 よく見るようになってみると、デブが裸で汗まみれになって戦うスポーツですが、相撲は面白いです。皆さんもじっくり見てみてください。

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2013年08月19日

若紫@

あー、暑いですね。暑いと何もする気になりませんね。とかなんとか言っている間に、8月ももう後半です。久しぶりの、『源氏物語』です。
〈本文〉
 瘧病(わらわやみ)にわづらひたまひて、よろづにまじなひ・加持(かじ)など参らせたまへど、験(しるし)なくて、あまたたび起こりたまひければ、ある人、「北山になむ、なにがし寺といふ所に、かしこき行なひ人はべる。去年(こぞ)の夏も世に起こりて、人々まじなひわづらひしを、やがてとどむるたぐひあまたはべりき。ししこらかしつるときはうたてはべるを、とくこそ試みさせたまはめ。」など聞こゆれば、召しにつかはしたるに、「老いかがまりて室(むろ)の外(と)にもまかでず。」と申したれば、「いかがはせむ。いと忍びてものせむ。」とのたまひて、御供にむつまじき四、五人(よたりいつたり)ばかりして、まだ暁(あかつき)におはす。やや深う入る所なりけり。
 三月(やよい)のつごもりなれば、京の花盛りはみな過ぎにけり。山の桜はまだ盛りにて、入りもておはするままに、霞(かすみ)のたたずまひもをかしう見ゆれば、かかるありさまもならひたまはず、所狭(ところせ)き御身にて、珍しうおぼされけり。
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〈juppo〉『源氏物語』は以前、「桐壺」の冒頭を、源氏の君が誕生したあたりまで描きました。そこからあれやこれやすっ飛ばして、教科書に載ってそうな「若紫」をご紹介します。「若紫」といえば、ヒマを持てあました源氏と惟光が小柴垣の隙間から幼女を覗き見するあのシーンを思い浮かべることと思いますが、そこに至るまでの部分が少しありましたのでそこから描きます。そういう訳で「若紫」というタイトルでありながら、若紫はまだ出てきません。まだ、というか、若紫という名は今後も出てこないようです。この先で覗き見される幼女を指して若紫と通例呼ぶのですが、本文ではそう呼んでいないらしいです。その幼女が長じて「紫の上」になるので、「若い紫」という意味で「若紫」と、この章を呼んでいるんですね。

 源氏の君は瘧病というのにかかっています。ここでは「わらわやみ」と読むようですが、「瘧」と書いて「おこり」と読みます。瘧というのは大体、マラリアのことだそうです。「こじらせる」という意味の「ししこらかす」という語、ちょっと良くないですか。
 先日新聞で読みましたが、1000年前の日本も今のように暑かったんだそうです。それでマラリアのような病気が流行ったんですね。貴族の屋敷の寝殿造など、高床で庭に池を配す家屋の様式は、暑さ対策だったらしいです。
暑さでマラリアになるといっても、このシーンは三月末です。旧暦の三月ですね。今で言うといつですか。えーと、五月上旬くらいになるみたいです。

 ここから始めて、幼女を覗き見るエピソードまで描くつもりですので、当分続きます。小さいサイズの紙がまだいっぱいあるので、へこたれて来たら4コマずつちまちま描くかもしれません。


 ところで、前回の記事まで中古のWindowsを使っていましたが、今この記事は中古のMacで書いています。中古ですけどMacBookAirですから、長年ドデカいiMacを使っていた私からすれば、超最新技術です。最新すぎて今イチついて行けないんですけど、やっぱりWinよりMacの方が、私は好きです。

posted by juppo at 00:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 源氏物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月09日

いづれの御時にか�

久しぶりに『源氏物語』です。
〈本文〉
またある時には、えさらぬ馬道(めどう)の戸をさしこめ、こなたかなた、心を合はせて、はしたなめ煩(わずら)はせたまふ時も多かり。事にふれて、数知らず苦しきことのみまされば、いといたう思ひわびたるを、いとどあはれと御覧じて、後涼殿(こうろうでん)にもとよりさぶらひたまふ更衣の曹司(ぞうし)を、ほかに移させたまひて、上局(うえつぼね)に賜(たま)はす。その恨み、ましてやらむかたなし。

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〈juppo〉皆さん、お久しぶりです!お元気ですか?
私は元気です!ちょっと先週ゴールデンウィークのさなかに食あたりで死にそうになっていたりしましたが、とりあえず今は元気です。

 ブログの更新が1ヵ月ぶりになってしまったことに大して理由はありません。戦国の世に疲れてしまった訳でもないんです。
 
 『平家物語』はもう少し描く予定なんですけど、時間がかかりそうなので先に桐壺の続きをお届けします。


 この前は、桐壺の更衣が歩く通路に汚物がまき散らされている、なんてシーンで終わりました。その続きです。
 まだまだいじめは続くわよ〜、という場面なんですね。

 「馬道」とは廊下のことです。その入り口と出口の戸を締めて閉じ込めるいじめなんですけど、結構幼稚ですよね。小学校の女子トイレあたりで目にする光景ですね。
 注目すべきなのは、「こなたかなた、心を合はせて」というところです。

 いじめというのはいつもこうしたチームワークで成り立つものです。そしてこのチームワークはターゲットがあって初めて発揮されるものです。

 標的をたまたま見つけただけで、不特定多数の他人が心を合わせられるというのは、いじめの持つパワーの大きさを感じさせますよね。その力を、なにか他の事に使えないものでしょうか。

 
 一方、またしても帝の余計な配慮で犠牲になったある更衣の恨みは、たまたまターゲットを見つけたなどという軽い気持ちではない訳です。
 「後涼殿」は帝の住む清涼殿に近い御殿で、「曹司」とは部屋のことです。


 こうして買わなくてもいい恨みを行く先々で買うんですからねー、桐壺の更衣の苦労はまだまだこれからも続いていきそうですね〜。

 この続きは、いつかまた。



 ところで、食あたりで弱った身体を回復しようと、先週から半身浴を始めました。
 ぬるめのお湯に30分くらい浸かっています。気持ちいいです。30分何もしないのは辛いので、雑誌など読んでいます。続けて、無駄に健康になろうかと思います。
posted by juppo at 23:05| Comment(4) | TrackBack(0) | 源氏物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月23日

いづれの御時にか�

〈本文〉
 かしこき御陰をば、頼み聞こえながら、おとしめ、きずを求めたまふ人は多く、わが身はか弱く、ものはかなきありさまにて、なかなかなる物思ひをぞしたまふ。御局(みつぼね)は桐壺なり。あまたの御方々を過ぎさせたまひて、ひまなき御前わたりに、人の御心を尽くしたまふも、げに道理(ことわり)と見えたり。まう上りたまふにも、あまりうちしきるをりをりは、打橋(うちはし)・渡殿(わたどの)のここかしこの道に、あやしきわざをしつつ、御送り迎への人の衣(きぬ)の裾(すそ)、堪(た)へがたく、まさなきこともあり。

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〈juppo〉新たにリクエストをいただいたのは今回描いたうち3コマ目まででしたが、その後のくだりが、あまりにも、本当〜にえげつない内容なので、面白いのでそこまで描くことにしました。

 その後半の内容は、桐壺の更衣が他の女御・更衣から受けたいじめの数々です。

 ここでやっと「桐壺」という名前が登場しましたね!桐壺って、部屋の名前だったんですね。桐壺の部屋にいる更衣なので「桐壺の更衣」なんです。「3号室のアシスタント」みたいな感じですね。

 3コマ目に描いた見取り図は平安京の内裏です。分かりずらい場合は国語便覧とか社会科資料集に必ず載っていますから、気になる方は参照してください。「ホントだ−桐壺って部屋があるー」ということがお分かりいただけると思います。

 ここでのいじめは他愛ないものですけど、部屋から部屋へ移動する際、通らざるを得ない通路に、汚物をまき散らして邪魔をしたようです。誰かが。

 汚物って何だろう?と思いますか?
 ご想像におまかせします。汚いものなら何でも。詳しいことはフィクションなので分からないんです。

 私は「排泄物」だと聞いたことがあります。
 えげつないですよね〜。そんなものが着物の裾についた日にはあなた、人生がイヤになっちゃいますよね。
 歴史上、いじめの材料にはよく登場するようですけどね。ウン○。
 嫌がらせの行き着く先は結局、「お食事中の方はご遠慮ください」なモノなんですねー。

 やっぱり、いじめは良くないです。


 その、いじめ話がもうちょっと続くのですが、ここで一旦『源氏物語』は終了します。

 続きは、またそのうち。


 
 ところで、我が家のTVがやっと地デジになりました!これでもう画面の上下に「ご覧のアナログ放送は云々」という文字を見なくて済むと思うとスッキリです。もちろん画面もキレイで気持ちいいです。
posted by juppo at 23:40| Comment(5) | TrackBack(0) | 源氏物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月15日

いづれの御時にか�

前回、最終回としましたが、リクエストがありましたので続きを描きます。
〈本文〉
 母君ははじめよりおしなべての上宮仕(うえみやづか)へしたまふべききはにはあらざりき。おぼえいとやむごとなく、上衆(じょうず)めかしけれど、わりなくまつはさせたまふあまりに、さるべき御遊びのをりをり、何事にもゆえある事のふしぶしには、まづまう上(のぼ)らせたまふ。ある時には、大殿(おおとの)ごもり過ぐして、やがてさぶらはせたまひなど、あながちに御前(おまえ)去らずもてなさせたまひしほどに、おのづから軽(かろ)きかたにも見えしを、この御子(みこ)生まれたまひて後は、いと心ことに思ほしおきてたれば、坊にも、ようせずば、この御子のいたまふべきなめりと、一の御子の女御はおぼし疑へり。人より先に参りたまひて、やむごとなき御思ひなべてならず、御子たちなどもおはしませば、この御方(おんかた)の御いさめをのみぞ、なほ煩(わずら)はしう、心苦しう思ひ聞こえさせたまひける。

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〈juppo〉前回の分を描き終わって少し気になっていた通り、もう少し先まで教科書に載っているとの情報をお寄せいただいたので、もう少し先まで、どろどろした場面ですけど続けて描きます。

 
 桐壺の更衣・・・ってまだ名前は出てないんですけどこの更衣は、最初にそれほど高い身分ではないとされていましたが、今回はそもそもそれほど低い身分じゃない、ってどういうこと?と思いますよね。

 後見人もいないし、まっ先にお妃になるほど際立って高い身分じゃ−ないんだけど、それほど低くもない、ということなんでしょうが、ここでは要するに、帝とべったりな関係だけど、もともと気品のある人でそんな尻軽な女じゃーないんですよ、ということを言いたいのだと思います。

 帝の寵愛のあまり始終一緒にいることになって、第一皇子の母からも相当恨まれているようですが、それは彼女のせいじゃないんです!帝の愛の深さゆえなんです!・・ってことでしょうね。


 その第一皇子の母は、「弘徽殿(こきでん)の女御」と呼ばれる人ですが、皇子の他に、女の子も産んでいるようです。それだけの実績があるのだから、言いたいことは言わせてもらうわよ!と思っていても無理はありません。

 ファーストレディーからのクレームを煩わしいと思いながらも、立場を考えれば同情を寄せざるを得ない帝も、なかなか大変ですね。



 この部分の訳を探していたら『源氏物語』の文法解説書(訳本)が出て来ました。持ってたんです。これでだいたいのリクエストにはお応えできると思います。


 とりあえず、この続きがもう少しあります。

posted by juppo at 22:06| Comment(2) | TrackBack(0) | 源氏物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする