〈本文〉
「このはたをりをばきくや。一首つかうまつれ」とおほせられければ、「あをやぎの」と、はじめの句を申出(まうしいだ)したるを、さぶらひける女房達、おりにあはずと思(おもひ)たりげにて、わらひ出だしたりければ、「物をききはてずしてわらふやうやある」と仰(おほせ)られて、「とくつかふまつれ」とありければ、
青柳のみどりのいとをくりをきて夏へて秋ははたをりぞなく
とよみたりければ、おとゞ感じ給(たまひ)て、萩をりたる御ひたたれを、をしいだしてたまはせけり。寛平歌合に、はつ鴈を、友則、
春霞かすみていにしかりがねは今ぞなくなる秋霧の上に
とよめる、左方にてありけるに、五文字を詠(よみ)たりける時、右方の人、こゑごゑにわらひけり。さて次の句に、霞ていにしといひけるにこそ音もせずに成(なり)にけれ。おなじ事にや。

〈juppo〉急に寒くなりました。寒いと、グズグズしますよね。何かと。
さて前回、唐突に大臣から特技の歌詠みを指摘された侍でした。自ら「得意です!」と言っただけあって、一瞬硬直したものの、与えられたお題「はたをり(きりぎりす)」で見事に詠んでみせた後編です。
女房たちが笑ったのは、きりぎりすといえば秋なのに、「青柳」は初夏のもので季節が違うよ〜ということなんですけど、その青柳を取っておいて、秋にきりぎりすが機織りしてるよという歌だったんですね。「最後まで聞かんかい!」と女房たちを一喝した大臣、つくづく出来たお人ですね。こういう人が上司であったら仕事も楽しかろうというものですね。
しかも詠まれた歌にかなり心を打たれたようで、すかさず贈り物まで賜ってくださる。太っ腹な上司でもあります。ここが肝心です。
後半の3コマは、今回のさすがな歌詠みの話はそういえば、かつての歌の名人にも同じようなエピソードがあるよ、という挿話です。別にこの部分がなくても「能は歌詠み」な話は成立すると思うんですけど、こういう他の話に例えるのって、古文の世界ではよくありますね。
「寛平の歌合」というのは、宇多天皇の時に行われた歌合わせの会のことで、左右に分かれて歌を読みあったんだそうです。友則は紀友則のことかな、と思いましたが、歌は「詠み人知らず」の作品のようです。
「青柳の」も「春霞」も、その場面だけでなく、次の季節から振り返って詠んだ時の流れも盛り込んだ歌になっているんですね。人が何かを披露しているときは、最後までじっくり見てから批評しようね、というお話ですよね。