〈本文〉
なにせんにかは世(よ)にもまじろはん」とて、いみじくよよと泣けば、我もえせきあへねど、いみじさにたはぶれに言ひなさんとて、「さて鷹(たか)飼(か)はでは、いかが給はむずる」と言ひたれば、やをら立ちはしりて、し据(す)ゑたる鷹をにぎり放ちつ。見る人も涙せきあへず、まして日くらしかなし。心ちにおぼゆるやう、
あらそへば思ひにわぶるあまぐもにまづそるたかぞかなしかりける
とぞ。
日暮るるほどに、文(ふみ)みえたり。天下(てんげ)そらごとならんと思へば、「ただいま心地あしくて、え今は」とてやりつ。

〈juppo〉書いているうちに金曜日になりそうですが書き始めたのは木曜の夜なので、昨日というのは水曜日のことです。
午後から急に視界に黒い糸くずや細かい泡のようなものが飛び交って、汚れたガラス越しに世界を見ているようになったので、眼科に行ったんですよ。視力検査から眼底検査やら何やらフルコースで検査していただいた結果、眼球の奥の神経のあたりが出血しているということがわかりました。いわゆる飛蚊症です。先生の説明に何度も「年齢的な」という言葉が入っていたので、ひとまず深刻な病気ではないことがわかって安心しました。あらゆる症状の原因が「年のせい」になってしまう世代に突入したのは喜んでいいのか悪いのか微妙ですが。
まだ黒いものは見えていますが、気にしなければ大丈夫です。とりあえず出血を抑えるらしい薬を服用しています。
さて、今回の『蜻蛉日記』も結局何も解決しない安定の展開です。が、小さい子どもが絡むとひときわ感傷的になりますねー。けなげさが泣けますねー。
この子(道綱)はまだ小さいらしいですが、鷹を飼っています。ぺットではなく鷹狩りに使う鷹なんですね。お坊さんは殺生をしないので、狩りなどもってのほかですから、母は息子に坊さんになるなら鷹は飼えないわよ〜と言っているのです。
狩りの道具としての鷹であっても、子どもにとってはやっぱりペットのようなもので、それを手放してまで坊さんになりたいなどと思わないだろう、という思惑でちょっと冗談めかして言ったのに、子どもはあっさり鷹を放してしまったと。
「やをら」は今でも使う言葉ですが、急いでいるイメージを持たれやすいですが実は急がない言葉なんですよね。「柔らかい」からできているとイメージすると、間違えずに済むかもしれません。
今回は悩みのタネの旦那は出て来ずじまいでした。手紙だけ来たようですが、読まずに返す筆者です。開けて見るまでもなく「天下そらごと」だと決めつけられてしまうとは、日頃の行いが相当なのでしょう。