2018年08月15日

四面楚歌A

ご無沙汰しました!毎年、この時期はついご無沙汰してしまう、暑さに弱い私です。続きです。
〈本文〉
駿馬、名騅。 常騎之。
於是項王乃悲歌忼慨、自為詩曰、
「力抜山兮気蓋世  時不利兮騅不逝
騅不逝兮可奈何  虞兮虞兮奈若何」
歌数闋、美人和之。
項王泣数行下。 左右皆泣、莫能仰視。
〈書き下し文〉
駿馬(しゆんめ)あり、名は騅(すい)。常に之に騎(の)る。
是(ここ)に於(お)いて、項王乃(すなは)ち悲歌忼慨(かうがい)し、自ら詩を為(つく)りて曰はく、
「力は山を抜き気は世を蓋(おほ)ふ 時利あらず騅逝かず
騅逝かざる奈何(いかん)すべき 虞や虞や若(なんぢ)を奈何せん」と。
歌ふこと数闋(すうけつ)、美人之に和(わ)す。項王泣(なみだ)数行(すうぎょう)下る。左右皆泣き、能(よ)く仰ぎ視(み)るもの莫(な)し。
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〈juppo〉四面を敵に囲まれた、項王の窮状は前回お届けしたので、後半は心置きなく項王のリサイタルをお楽しみください。
 ・・・なんてふざけたことを書いても、内容はしみじみ哀しいです。最後のコマ、自分で言うのもナンですが兵たちがうるうる泣いてるの、なんか哀しいですよね。
 項王が歌っている詩の、三句と四句の終わりは反語になっています。今回に限らず、フキダシの外に敢えて「できないっ」とか否定的な言葉を書いてる時は、大抵反語だと思ってください。

 このお話はここで終了です。この後、項王の軍はどのようにして戦ったり進んだりして『項王の最期』までたどり着くのか、気になるところではありますが、特に調べたり描こうと思ったりしてません。残念ながら。いつかそんな機会があれば、てことで。

 そんなで8月も後半になりましたが、今年の夏も「暑い!」と言っているうちに終わってしまいそうです。
 何しろ今年の夏は忘れられない暑さでしたね。まだまだ暑いんですけど、一番暑かった日々に比べるとちょっと涼しく感じるのが異常です。
 ここ数年、もれなく熱中症になる私は今年もなってました。救急搬送されるほどではありませんでしたが、今年は新型の熱中症で、風邪みたいな症状になったんですよ。ただ「暑い」と思っていたらくしゃみ・鼻水が出始めて、秋の花粉症がもう?と思ったら喉にきて終いにはお腹にきました。涼しいところでひたすら寝てたら治ったので、やっぱり熱中症だったのだと思います。
 皆さんも気をつけてくださいね、と言いたいところですが、気のつけようもないのが昨今の熱中症ですよね。こんなことでは絶滅するな、と思いましたよ。
 人類が暑さで絶滅した後、ゴキブリとかああいうたくましそうな虫なんかが繁栄するんだろうな〜、てな話でピラティスの時間に盛り上がってました。
「生き残りたくないな〜、そういう世界に〜。」とはピラティスの先生談。「実験されたり、人間ホイホイに入れられちゃったりするんですよ〜。」だそうで。『ゴキの惑星』ですね。
 そんなことにならないためには、暑さにもっと強くなるべきなのか、気温上昇を食い止める努力をするべきなのか、考える頭脳も暑さで働かない夏です。
posted by juppo at 23:21| Comment(2) | 漢文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月21日

四面楚歌@

暑いですね〜。夏休みですね。漢文です。『史記』です。リクエストにお応えしています!
〈本文〉
項王軍壁垓下。 兵少食尽。
漢軍及諸侯兵、囲之数重。
夜聞漢軍四面皆楚歌、
項王乃大驚曰、
「漢皆已得楚乎。 是何楚人之多也。」
項王則夜起飲帳中。
有美人、名虞。 常幸従。
〈書き下し文〉
 項王(かうわう)の軍垓下(がいか)に壁(へき)す。兵少なく食尽く。
漢軍及び諸侯の兵これを囲むこと数重(すうちょう)なり。
夜漢軍の四面皆楚(そ)歌(か)するを聞き、
項王すなはち大いに驚きて曰はく、「漢皆すでに楚を得たるか。これ何ぞ楚人(そびと)の多きや」と。
項王すなはち夜起(た)ちて帳中(ちやうちゆう)に飲む。
美人あり、名は虞(ぐ)。常に幸(かう)せられて従ふ。
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〈juppo〉項王といえば、以前「項王の最期」を描きました。今回のお話を描くのに「四面楚歌」で画像検索すると、その時描いた自分の漫画も出てくるので、それも参考にしました。原画を探すより速くてラクです。いい時代になりましたねぇ。

 そういうわけで、項王は今回立てこもった垓下の城壁内で最期を迎えるのではないことが分かっているのですが、「四面楚歌」って「絶体絶命」のような意味で使う四字熟語ですよね。
 立てこもった城壁の四面から楚の歌が聞こえてきたのを聞いて、絶望的になった項王の心情を表した四字熟語が、「四面楚歌」ということなんですね。
 私はこれを描くまで、楚の歌イコール敵国の歌だと思っていました。ところがなんと、楚の国は項王の故郷だったのですね!!
 
 項王こと項羽は楚の人で、漢の劉邦と「漢楚の争い」をここまで5年ほど繰り広げてきたらしいです。詳しくは「三国志」などで!
 ここでは「項王は楚の人」ということだけ分かっていれば大丈夫です。

 自分の故郷の人々が敵の側について、今自分を包囲していることが分かった項王の衝撃・・からの宴会、な場面ですね。
 楚の歌の歌詞まで書き込んでありますが、もちろん適当です。ソ〜は青い空〜♩の節で作ったつもりでしたが、字余りになってしまいました。

 続きがあります。2回で完結します。


 それにしても、暑いですね。今年も熱中症との戦いの日々です。外出に保冷剤の携帯が欠かせません。
 
 こんなことでは2年後のオリンピックが思いやられますよね〜。8月に都心でフルマラソンなんて、正気の沙汰とは思えません。朝の4時ごろ奥多摩を出発するコースにしろとあれほど言ったのに、てなことにならないでしょうか。
 今からでも前回の東京五輪同様、10月開催に変更すればいいのに、と思うんですけど。観戦に来る外国人の皆さんも、どうせならついでに紅葉が見られた方がいいはずですよねぇ。次は桜を見に来よう!と、リピーターにもなってくれそうですし。

 皆さんも、熱中症にはくれぐれも気をつけて。快適に夏を過ごしてくださいねー。
posted by juppo at 20:54| Comment(2) | 漢文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月07日

先従隗始A

お待たせしました!続きです。
〈白文〉
買死馬骨五百金而返。 君怒。
涓人曰、
『死馬且買之、況生者乎。 馬今至矣。』
不期年、千里馬至者三。
今王必欲致士、先従隗始。
況賢於隗者、豈遠千里哉。」
於是昭王為隗改築宮、師事之。 於是士争趨燕。
〈書き下し文〉
死馬(しば)の骨を五百金に買ひて返る。 君怒(いか)る。
涓人(けんじん)曰はく、
『死馬すら且(か)つ之(これ)を買ふ。 況(いは)んや生ける者をや。 馬今に至らん』と。
期年ならずして、千里の馬至る者三なり。
今、王必ず士(し)を致さんと欲せば、先(ま)づ隗より始めよ。
況んや隗より賢なる者、豈(あ)に千里を遠(とほ)しとせんや。」と。
是(ここ)に於いて、昭王隗の為に改めて宮(きゆう)を築き、之に指事す。是に於いて、士争ひて燕に趨(おもむ)く。
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〈juppo〉目の前に「先生」と呼ぶ人物がいるのに、なぜよそから他の先生を呼ぼうと考えているのかが不自然な前半でしたが、後半はやはりそういうことで、目の前にいる人からまず始めてみては?という結論でしたねー。

 とは言え、タダの骨に大金を払ったからこそいい馬が手に入ったように、身近な指導者の価値を見直し待遇を改めたからこそ、賢人が噂を聞きつけたということですから、闇雲に何でも手近なところから始めなさい、ということでもないんですよね。

 それにしても、そうは言ってもやっぱり馬の骨に五百金(が、いくらくらいか分からないですけど)も払うのはどうかと思いますよね。「せめて肉買って来いよ!」と、私が王様ならボヤくところかと。

 よく「勉強の仕方がわからない」というお悩みを耳にしますが、そう悩んでる時点でまだ何も勉強してない、てことなんじゃないかと思うので、とりあえずまず目の前にある教科書を開くことから始めてみては?とか、学校の授業で何をやってたか思い出すことから始めては?なんてアドバイスを・・実際にしたことはありません。「勉強法なんて始めてから分かることで、人それぞれと思うけど。」と心の中に抱きつつ、いろいろ考えてアドバイスしてたと思います。聞かれた時には。
posted by juppo at 03:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 漢文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月18日

先従隗始(先づ隗より始めよ)@

せっかく本が出るというのに、作品の更新が滞ったままでは、と、ちょっとやる気出します。リクエストにお応えしています。漢文です。
〈白文〉
燕人立太子平為君。是為昭王。弔死問生、卑辞厚幣、以招賢者。問郭隗曰、
「斉因孤之国乱、而襲破燕。孤極知燕小不足以報。誠得賢士与共国以雪先王之恥、孤之願也。先生視可者。得身事之。」
隗曰、「古之君有以千金使涓人求千里馬者。

〈書き下し文〉
燕人(えんひと)、太子平(たいしへい)を立てて君(きみ)と為(な)す。是(こ)れを昭王(せうわう)と為す。
死を弔(とむら)ひ生(せい)を問ひ、辞を卑(ひく)くし幣(へい)を厚くして、以(もつ)て賢者(けんじゃ)を招く。郭隗(くわくくわい)に問ひて曰(い)はく、
「斉(せい)孤(こ)の乱るるに因(よ)りて、襲(おそ)ひて燕を破る。孤極(きは)めて燕の小(せう)にして以て報(ほう)ずるに足らざるを知る。
誠に賢士(けんし)を得て与(とも)に国を共にし、以て先王の恥(はぢ)を雪(すす)がんことは、孤の願ひなり。先生可(か)なる者を視(しめ)せ。身(み)之(これ)に事(つか)ふることを得ん」と。
隗曰はく、
「古(いにしへ)の君に、千金(せんきん)を以て涓人(けんじん)をして千里の馬を求めしむる者有り。
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〈juppo〉8コマで収まるかと思って描き始めましたが途中から字だらけになってしまったので2回に分けることにしました。後半を何コマで描くか、まだ検討中であります。
 
「まず隗より始めよ」の隗というのは人の名前だったんですね。燕は国の名前です。紀元前の中国にあった国です。昭王はそこの王様です。
 ところで昭王と言えば、前にもこのブログで描いたことがあった気がするな〜、と検索したら「鶏鳴狗盗」に出てきてました。しかしながら、その時描いた昭王は秦の王様です。どうやら昭王は何人もいるようです。秦の昭王のことは昭襄王(しょうじょうおう)と呼んだりするようです。

 国を強くするために賢者を呼んで政治を手伝ってもらおう、とお考えの昭王です。しかし相談する相手を「先生」と呼んでいますし、タイトルが「隗より始めよ」ですから、後半の内容は読めたも同然かと思いますが、そこまでのくだりを楽しんでいただければ幸いです。「なるほど」と思える故事を隗先生が紹介されますので続きをお待ちください。
 
 その隗先生が、昔の王様が家来に「千金で千里の馬を買って来い」と命令を下したと話し始めたところで今回は続く、です。
 千金は一体いくらくらいなのか不明ですが、かなりの大金、というほどの意味のようです。千里の馬も同じことで、実際に千里走るという意味ではないと思うんですけど、当時中国では1里=540mだったそうなので、千里=540kmで、そのくらいならあるかなぁ?という微妙な距離になっております。でも、あくまでもここでは「良い馬」という意味ですよね。

 いよいよ本の発売を3日後に控え、否が応にも気分は高揚しております。その気分を維持しつつ、今週末はちょこっと台北に行ってきまーす。
 後編は帰国後に!!
 

posted by juppo at 00:57| Comment(2) | TrackBack(0) | 漢文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月30日

塞翁馬(さいおうがうま)

ご無沙汰です。我が家にはマイナンバー通知が来ました。皆さんのお手元には届きましたか?リクエストにお応えします。引き続き、漢文です。
〈本文〉
近塞上之人、有善術者。馬無故亡而入胡。人皆弔之。其父曰、
 此何遽不為福乎。
居数月、其馬将胡駿馬而帰。人皆賀之。其父曰、
 之何遽不能為禍乎。
家富良馬。其子好騎、堕而折其髀。人皆弔之。其父曰、
 此何遽不為福乎。
居一年、胡人大入塞。丁壮者引弦而戦、近塞之人、死者十九。此独以跛之故、父子相保。
故福之為禍、禍之為福、化不可極、深不可測也。
〈書き下し文〉
塞上(さいじやう)に近きの人に、術(じゆつ)を善(よ)くする者あり。馬故(ゆゑ)無くして亡(に)げて胡(こ)に入る。人皆これを弔(てう)す。その父(ほ)曰(いは)く、
「これ何ぞ福と為(な)らざらんや」と。
居(を)ること数月(すうげつ)、その馬胡の駿馬(しゆんめ)を将(ひき)ゐて帰(かへ)る。人皆これを賀(が)す。その父曰く、
「これ何ぞ禍(くわ)と為る能(あた)はざらんや」と。
家(いへ)良馬(りやうば)に富む。その子騎(き)を好み、堕(お)ちてその髀(ひ)を折る。人皆これを弔す。その父曰く、
「これ何ぞ福と為らざらんや」と。
居ること一年、胡人大(おほ)いに塞に入る。丁壮(ていさう)なる者、弦(げん)を引きて戦ひ、塞に近きの人、死する者十(じふ)に九(く)なり。
これ独り跛(は)の故をもって、父子(ふし)相(あひ)保(たも)てり。
故に福の禍となり、禍の福となる、化(くわ)極(きは)むべからず、深(しん)測(はか)るべからざるなり。
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〈juppo〉禍福は糾える縄のごとし、なんて格言もありますが、そういう話です。悪いことが起きても、それがどう転じて幸運になって帰ってくるかわからない、その逆もまたある、という。
 良いことと悪いことは誰にでも同じ割合である、という人もいますが、我が身に起きたことを良いことと思うか、悪いことと思うか、はその人の気の持ち方次第、という考え方もありますよね。
 何が起きても、そこで止まってしまわずに成り行きを見守る態度が大事、なのでしょうね〜。

 本文に「父」が何度も出て来ますが、息子がいるからお父さんなんですけど、父を「ほ」と読むと「老人」を表し、「ふ」と読むと「父親」の意なんだそうです。
 本文では最後の「父子」以外の「父」は「ほ」と読むようですよー。テストに出そうですね〜。

 とかなんとかしている間に、今年もあと一ヶ月ですね!期末テストが近い頃、でしょうか。
 そろそろ年賀状の集配も始まるのに、マイナンバー通知の配達は年内に終わるのでしょうか。仕事が増えてさんざんな全国の郵便屋さん、頑張ってください!
posted by juppo at 04:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 漢文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月21日

借虎威(とらのいをかる)

なんと、ほぼ3ヶ月ぶりの更新です。新記録です。リクエストにお応えします。漢文です。
〈本文〉
荊宣王問群臣日、「吾聞北方之畏昭奚恤也。果誠如何。」
群臣莫對。江乙對日、「虎求百獣而食之。
得狐、狐日、『子無敢食我也。天帝使我長百獣。
今、子食我是逆天帝命也。
子以我為不信、吾為子先行。子随我後観。
百獣之見我而敢不走乎。』虎以為然。故遂与之行。
獣見之皆走。虎不知獣畏己而走也。以為畏狐也。
今、王之地、方五千里、帶甲百萬、而専屬之昭奚恤。故北方之畏奚恤也、其實畏王之甲兵也、猶百獣之畏虎也。」
〈書き下し文〉
荊(けい)の宣王(せんおう)、群臣(ぐんしん)に問いて曰(い)はく、「吾(われ)、北方の昭奚恤(しょうけいじゅつ)を畏(おそ)るるを聞く。果たして誠に如何(いかん)」と。
群臣對(こた)うる莫(な)し。江乙(こういつ)對えて曰はく、「虎(とら)、百獣(ひゃくじゅう)を求めて之(これ)を食らふ。
狐(きつね)を得るに、狐曰はく、『子(し)敢(あ)へて我を食らふなかれ。天帝(てんてい)我をして百獣に長(ちょう)たらしむ。今、子我を食らはばこれ天帝の命(めい)に逆(さか)らふなり。子我を以(も)って信ならずと為(な)さば、吾子の為に先行(せんこう)せん。子我が後(うしろ)に随(したが)ひて観よ。百獣の我を見て敢へて走らざらんや。』と。
虎以って然(しか)りと為す。故(ゆゑ)に遂(つい)に之と行く。獣(じゅう)之を見て、皆走る。虎獣の己(おのれ)を畏れて走るを知らざるなり。以って狐を畏ると為すなり。
今、王の地、方(ほう)五千里、帶甲(たいこう)百万ありて、専(もっぱ)らこれを昭奚恤に屬(しょく)す。故に北方の奚恤を畏るるは、その實(じつ)、王の甲兵(こうへい)を畏るること猶(なお)百獣の虎を畏るるがごときなり。」と。
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〈juppo〉このお話が高校の教科書に載っているのを3年前に見ました。私の記憶が確かならば、教科書に載ってたのは虎と狐の部分だけで、荊の宣王だとか昭奚恤だとかは登場してませんでした。

 「漁父の利」でもそうでしたが、故事成語というのは誰かが誰かに説いて聞かせた話がもとになっていたりして、そういうのを集めた『戦国策』という書が今回の出典です。

 荊は楚の国のことのようです。昭奚恤はその国の宰相だそうです。
教科書にこの人たちのことが載ってなければ、あまり気にせず虎と狐にだけご注目ください。

 偉い人、強い人の威光を利用して、大したことないのに自分が偉い!みたいな気になってるちょっとハズした人を指して言う言葉ですね、「虎の威を借る」って。
 「虎の衣を狩る」と、毛皮目的で虎を狩ることだと思ってる人はいないでしょうか。いませんね。

 とにかく、久しぶりの更新が可愛い動物の話だったので楽しんで描きました。狐はここではずる賢いキャラなので、あんまり可愛くても何ですけど。


 さて、更新をサボっていた今年の夏も暑かったですね〜。この2ヶ月あまりの間に、それが更新の妨げになっていたほどではないですが、いろいろありました。
 
 まず、30年近く放置していた親不知を抜きました。紹介状を手に口腔外科に行って、生まれて初めてカラダにメスが入るという体験をしました。
 親不知の抜歯はとにかく血が止まらない、という話を多々聞かされていましたが、思ったほど出血もせず腫れもせず、その日のうちから普通に食事も出来たし翌日はいつも通り仕事に行きました。

 それから1ヶ月ほど経って暑さがじわじわ強まった頃、これまた生まれて初めて、私はサーカスを見に行きました。この話をすると、結構皆さんサーカスって見に行ったことがあるんですね。私は今まで機会がなかったので、素直に感動して帰って来ました。クマや犬や猫まで、虐待と思う人もいるかもしれませんけど訓練されてミスのない演技をするのは凄いですね。

 そして8月の末に、旅行に行きました。能登〜金沢に。北陸新幹線で行ったのではなく、東京から運転して行ったんですよ。こんな長距離運転したのも初めてのことでした。

 そういう訳で、思いがけず今年は初体験ずくめの夏を過ごしておりました。涼しくなったので、これからは少しまじめにブログにも向き合いたいと思っています。
よろしくお願いいたします。
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2015年06月30日

圉人之罪

ご無沙汰ぶりが甚だしいですね。リクエストにお応えします。漢文です。
〈本文〉
 景公有馬。其圉人殺之。公怒援戈、将自撃之。
晏子曰、「此不知其罪而死。臣請為君数之、令知其罪而殺之。」
公曰、「諾。」
 晏子挙戈而臨之曰、「汝為吾君養馬而殺之。而罪当死。汝使吾君以馬之故殺圉人。而罪又当死。汝使吾君以馬故殺人聞於四隣諸候。汝罪又当死。」
公曰、「夫子釈之、夫子釈之。勿傷吾仁也。」
〈書き下し文〉
 景公(けいこう)馬あり。その圉人(ぎよじん)これを殺す。公怒りて戈(ほこ)を援(と)り、将(まさ)に自らこれを撃たんとす。
晏子(あんし)曰(いは)く、「これその罪を知らずして死す。臣(しん)請(こ)う君のためにこれを数(せ)め、その罪を知らしめてこれを殺さん。」と。
公曰く、「諾(だく)。」と。
 晏子戈を挙げてこれに臨んで曰く、「汝(なんぢ)わが君のために馬を養ひてこれを殺す。而(なんぢ)の罪死に当たる。汝わが君をして馬の故(ゆえ)を以(も)つて圉人を殺さしむ。而の罪また死に当たる。汝わが君をして馬の故を以つて人を殺し、四隣(しりん)の諸候(しよこう)に聞こえしむ。汝の罪また死に当たる。」と。
公曰く、「夫子(ふうし)これを釈(ゆる)せ、夫子これを釈せ。わが仁を傷(そこ)なふ勿(な)かれ。」と。
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〈juppo〉いや〜、危なく2ヶ月ぶりの更新になるところでしたが、6月もしっかり更新!しておきます。

 「圉人之罪」は紀元前に書かれた「説苑(ぜいゑん)」という書物にあるお話のようです。書いた人は劉向(りうきやう)だそうです。

 圉人(ぎょじん)は馬の世話をする役人、という肩書きで出て来たりしますが、その人の名前のようなのでそのまま使いました。
 晏子は本名を晏嬰(あんえい)という人で、この時代の歴代の君主に仕えた宰相だそうです。景公は最後の方の代の君主なので、経験豊かな晏子を尊敬して先生と呼んでいるんでしょうね。

 読む前に本文をざっと見て、「罪」とか「死」という字がやたら目に入って来るので、どれほど血なまぐさい話なのかとヒヤヒヤしましたが、死んだのは馬だけで多少安心してご紹介できる次第です。

 同じような文が繰り返し出て来るので読みにくいですね。晏子のいう、死に値する圉人の罪が数々並べられているのですが、お前のせいで君主に人を殺させる事になった(=手を汚させる事になった)とか、お前を殺した事で君主に悪い評判が立つじゃないか、とか、要するに、今ここで圉人を殺したら君主にとって良い事は何もないですよ、と君主に伝えたかったんですね。
 回りくどいけど効果はあった模様です。圉人は死を免れてめでたしめでたし、というお話でした。


 そういう訳で6月ももう終わりですね。今年ももう半分終わってしまった訳です。ついていけません。
 そろそろ期末テストの季節ですか。もう終わった皆さんはお疲れさまでした。テストが終われば夏休みも目前ですね。今年も暑い、と言っている間に夏休みが終わらないよう、計画はお早めに立ててくださいね。
posted by juppo at 00:58| Comment(7) | TrackBack(0) | 漢文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月11日

糟糠之妻(そうこうのつま)

 長らくご無沙汰してしまいました。リクエストにお応えします。漢文です。
〈本文〉
時帝姉湖陽公主新寡。帝与共論朝臣微観其意。主曰、
「宋弘威容徳器、群臣莫及。」
帝曰、
「方且図之。」
後、弘被引見。
帝令主坐屏風後、因謂弘曰、
「諺言、貴易交、富易妻。人情乎。」
弘曰、
「臣聞、貧賎之知不可忘。糟糠之妻不下堂。」
帝顧謂主曰、
「事不諧矣。」
〈書き下し文〉
時に帝(てい)の姉の湖陽公主(こようこうしゅ)新たに寡(か)となる。
帝与(と)共(とも)に朝臣を論じ微(ひそ)かにその意を観(み)る。
主(しゅ)曰(いは)く、
「宋弘(そうこう)の威容徳器、群臣及ぶなし。」と。
帝曰く、
「方(まさ)に且(まさ)にこれを図らんとす。」と。
後、弘(こう)引見せらる。
帝、主をして屏風(びやうぶ)の後ろに坐(ざ)せしめ、因(よ)りて弘に謂(い)ひて曰く、
「諺(ことわざ)に言ふ、貴(たっと)くして交わりを易(か)へ、富みて妻を易ふ、と。人の情か、」と。
弘曰く、「臣(しん)聞く、貧賎(ひんせん)の知(ち)は忘るべからず。糟糠(そうこう)の妻は堂より下さず、と。」
帝顧(かえり)みて主に謂ひて曰く、
「事かなわず。」と。
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〈juppo〉
皆さん!お元気ですか!?私は元気です!2ヶ月も更新ほったらかしで、すみませんでした。大型連休もいつの間にか終わり、もうすぐ中間テストですか?

 今回は『後漢書』の宋弘伝とやらから、「糟糠之妻」をお届けしています。
帝とは光武帝のことで、そのお姉さんが未亡人になったので、部下の中から誰か見繕って再婚させようという、姉思いの弟のお話なのですね。

 お姉さんが、この人がいい!と目を付けたのが宋弘です。「そうこう」と読みますが、「宋弘の妻」に引っかけている訳ではないそうです。

 糟糠というのは酒かすと米ぬかを指す言葉で、そんなものしか食べられなかったビンボー時代を支えた妻という意味になっているんですね。

 糟糠の妻って最近聞かない言葉ですよね〜。芸のためなら女房も泣かす♪「浪速恋しぐれ」の世界にでも思いを馳せるしか、想像出来ないほど日本が豊かになったということですよねー。妻がいようといまいと、なかなか酒かすと米ぬかで生活するような事態には陥らないのが21世紀です。日本では。

 宋弘にはこの時ちゃんと奥さんがいるので、帝の思惑としては身分や経済状況が良くなったら、それに合わせて付き合う友人とか奥さんを、ふさわしい人材に替えるのはどうかな?と水を向けて、宋弘が「そうですね」とさえ言えば姉を再婚相手にしてもらおう、というものだったようです。
 ところが宋弘はバッサリ、自分が偉くなっても苦労した時の友人や妻を見捨てたりはしない!と即答した、という顛末でした。

 「堂より下さず」というのは「家から追い出す」という意味です。貧しい時代を共に過ごした妻を、豊かになったからと言って家から追い出すなんて、そりゃ愛がなさすぎですよね。帝のお姉さんには残念な結果となってしまいましたが、それほどの実直な人柄が、そもそも宋弘の評判に繋がっていたという訳なのですね。

 貧乏はしたくないですが、そんな「貫く愛」っていいですよね、というところでキレイにまとめたいと思います。ではまた。
posted by juppo at 23:54| Comment(11) | TrackBack(0) | 漢文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月09日

鶏鳴狗盗A

大変お待たせしました。続きです。
〈本文〉
客有能為狗盗者。入秦蔵中、取裘以献姫。姫為言得釈。
即馳去、変姓名、夜半至函谷関。関法、鶏鳴方出客。恐秦王後悔追之。
客有能為鶏鳴者。鶏尽鳴。遂発伝。出食頃、追者果至、而不及。
孟嘗君、帰怨秦、与韓魏伐之、入函谷関。秦割城以和。
〈書き下し文〉
客に能(よ)く狗盗(くとう)を為す者有り。秦の蔵中(ぞうちゅう)に入り、裘(きゅう)を取りて姫に献(けん)ず。姫為(ため)に言ひて釈(ゆる)さるるを得たり。

即(すなは)ち馳(は)せ去り、姓名を変じて夜半に函谷関(かんこくかん)に至る。関の法、鶏(にわとり)鳴きて方に客(かく)を出だす。秦王の後に悔いて之を追はんことを恐(おそ)る。客に能く鶏鳴(けいめい)を為す者有り。鶏尽(ことごと)く鳴く。遂に伝(でん)を発す。出でて食頃(しょくけい)にして、追う者果たして至るも、及ばず。

孟嘗君帰り、秦を怨(うら)み、韓(かん)魏(ぎ)と之を伐(う)ち函谷関に入る。秦城を割き以て和す。
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〈juppo〉前回、食客(しょっかく)についての説明をしませんでした。食客とは、中国で戦国時代に、貴族が才能ある人を客として養う代わりに、いろいろ助けてもらっていたという、タダ飯食いの客たちのことのようです。

 孟嘗君にはそういう客が千人もいたんですねー。才能ある人の中には、はっきり「泥棒がいた」と説明されてる人とか、ニワトリのマネが上手いという才能も、含まれていた訳ですね。
 そんな才能が何の役に立つんだ、と思われそうですが、実際そう思って孟嘗君に意見する人もいたらしく、でもほら、役に立ったでしょ?というのが、このお話のテーマなんですね〜。

 どんな才能がどこで成功を導くか、わからないものですね。芸は身を助く、とはよく言ったものです。
 皆さんにも「こんなことが出来てもなー」くらいの才能でも、あれば是非伸ばしていってください。

 このお話は今回で終了です。
卒業した皆さん、おめでとうございます。在校生の皆さんも、もうすぐ春休みですね〜。思い出に残る春を、お過ごしくださいね!

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2015年02月22日

鶏鳴狗盗(けいめいくとう)@

リクエストにお応えします。毎年そんなことを思いますが、2月は驚くほど短いですね。
〈本文〉
靖郭君田嬰者、斉宣王之庶弟也。封於薛。有子曰文。食客数千人、名声聞於諸侯。号為孟嘗君。

秦昭王聞其賢、乃先納質於斉、以求見。至則止、囚欲殺之。孟嘗君使人抵昭王幸姫求解。姫曰、

「願得君狐白裘。」

蓋孟嘗君、嘗以献昭王、無他裘矣。
〈書き下し文〉
靖郭君(せいかくくん)田嬰(でんえい)は、宣王(せんおう)の庶弟なり。薛(せつ)に封ぜらる。子有り文(ぶん)といふ。食客(しょっかく)数千人。名声諸侯に聞こゆ。号して孟嘗君(もうしょうくん)と為す。

秦の昭王(しょうおう)、其の賢(けん)を聞き、乃ち先づ質を斉に納れ、もって見んことを求む。至れば則ち止め囚(とら)へて之を殺さんと欲す。孟嘗君人をして昭王の幸姫(こうき)に抵(いた)りて解かんことを求めしむ。姫曰く、

「願はくは君の狐白裘(こはっきゅう)を得ん」

と。蓋(けだ)し孟嘗君、嘗(かつ)て以て昭王に献(けん)じ、他の裘(きゅう)無し。
keimei1.jpeg
〈juppo〉鶏はニワトリ、狗盗は泥棒のことだそうです。ニワトリも泥棒も全く登場していませんが、後半にお目にかかります。全2回の予定です。

 田嬰の名前からお話が始まるので、この人が主役かと思いきや、主人公は息子の田文こと孟嘗君です。田嬰も斉の政治家で、偉い人だったみたいです。孟嘗君が生まれた時、生まれたのが5月5日で、この日に生まれた子は親を殺すとか何とか迷信があり、生まれたとたんに父親に殺されそうになった・・なんて逸話が残ってる模様です。

 このお話の元になっているのは『史記』にある孟嘗君伝らしいのですが、今回引用した文章はそれとはちょっと違うようです。教科書に載っているのが違うバージョンだったらごめんなさい。

 秦の昭王の方から会いたいと言って来たのに、出向いて行ったら殺されそうになって捕われの身の孟嘗君です。いきなり絶体絶命です。

 狐白裘というのは漫画に書いたように狐の毛皮のことで、狐といえばもちろんキツネ色なのですが、これは狐の脇の白い毛皮だけで作られたもので、故に高級品なんだそうです。
 その毛皮の形がよくわからないので、とりあえず毛皮のコートを描いておきました。

 万策尽きて明日をも知れぬ孟嘗君・・ですが、後半どのようにこの窮地を乗り切るか、がこのお話の主題ですので、続きをお楽しみに。
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2015年01月11日

完璧帰趙E

皆さん、あけましておめでとうございます。新年のご挨拶が今頃になってしまいました。足掛け2年かかった『完璧帰趙』もやっと、今回で終了でーす!
〈本文〉
今以秦之彊而先割十五都予趙、趙豈敢留璧而得罪於大王乎。
臣知欺大王之罪当誅。臣請就湯鑊。
唯大王与群臣孰計議之。」
秦王与群臣相視而嘻。 左右或欲引相如去。
秦王因曰、「今殺相如、終不能得璧也。而絶秦・趙驩。不如因而厚遇之使帰趙。 趙王豈以一璧之故欺秦邪。」
卒廷見相如、畢礼而帰之。 相如既帰、趙王以為賢大夫使不辱於諸侯、拝相如為上大夫。
秦亦不以城予趙、趙亦終不予秦璧。
〈書き下し文〉
今秦の強きをもって先に十五都(と)を割(さ)き趙にあたえば、趙あに敢えて璧をとどめ て罪を大王に得んや。
臣大王を欺くの罪誅(ちゅう)に当たるを知る。 臣請(こ)ふ湯鑊(とうくわく)に就かん。
ただ大王群臣とつらつらこれをはかり議せよ。」と。
秦王群臣と相みておどろく。 左右あるいは相如を引きて去らんと欲す。
秦王よりていはく、「今相如を殺すとも、つひに璧を得(う)るあたはざるなり。 しこうして秦・趙の驩(くわん)を絶たん。 よりて厚くこれを遇(ぐう)して趙に帰らしむるにしかず。 趙王あに一璧のゆえをもって秦を欺かんや。」と。
つひに廷(てい)に相如を見、礼をおはりてこれをかえす。 相如すでにして帰り、趙王もって賢大夫(けんだいふ)使ひして諸候に辱められずと なし、相如を拝して上大夫(じょうだいふ)となす。
秦もまた城をもって趙にあたへず、趙もまたつひに秦に璧をあたへず。
kanpeki6.jpeg
〈juppo〉長かった相如と秦王の駆け引きもやっと決着しましたね。結局両国とも得るものも失うものもなく、得をしたのは位が上がった相如だけだったという訳ですね。命をかけた交渉の末の昇進ですからねー。

 始めたときはまさか6回も続くことになるとは思わず、そもそもどんないきさつで相如は秦に来たのやら自分で描いて忘れそうにすらなっています。そうこうしている間に年が改まってしまい、もう明日、いや今日から初場所開幕じゃないですか。

 とにかく無事に終わって良かったです。趙王くらいホッとしています。

 今更ですが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。今年はもっと更新頻度が上がるといいな、と今年も思っています。

 ところで年末に、多摩動物公園に行ってきました。
 コアラのベストショットをどうぞ。IMG_0861.JPG
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2014年12月31日

完璧帰趙D

今年最後の更新です。毎年言ってるようですが、今年も数えるほどしか更新しなくてすみません。来年は頑張ります。これまた毎年言ってますけど。
〈本文〉
遂許斎五日、舎相如広成伝。
相如度秦王雖斎、決負約不償城、乃使其従者衣褐懐其璧、従径道亡帰璧于趙。
秦王斎五日後、乃設九賓於廷、引趙使者藺相如。
相如至、謂秦王曰、
「秦自繆公以来二十余君、未嘗有堅明約束者也。 臣誠恐見欺於王而負趙。 故令人持璧帰、闔頑粃瘁B 且秦彊而趙弱。 大王遣一介之使至趙、趙立奉璧来。
〈書き下し文〉
つひに許して斎すること五日、相如をして広成伝(こうせいでん)に舎(しゃ)せしむ。
相如秦王斎すといへども必ず約にそむき城を償(つぐな)はざらんとはかり、すなは ちその従者をして褐(かつ)を着てその璧をいだき、径道(けいどう)より逃げて璧を趙に帰さしむ。
秦王斎すること五日ののち、すなはち九賓を廷(てい)に設(まう)け、趙の使者藺相如(りんしょう じょ)を導く。
相如至り、秦王にいひて曰(いは)く、
「秦繆公(ぼくこう)より以来二十余君(くん)、未だかつて 約束を堅明(けんめい)にせしものあらざるなり。秦まことに王に欺かれて趙にそむかんことを恐(おそ)る。 ゆえに人をして璧を持ちて帰り、ひそかに趙に至らしむ。 かつ秦強くして趙弱し。大王一介の使を仕はして趙に至らしめば、趙たちどころに璧を奉(ほう)じて来た らん。
kanpeki5.jpeg
〈juppo〉年賀状を書くのも後回しにしてコレを描いていたんですけど、黒い色鉛筆が見当たらなくて中断してるうちに、もう大晦日ですね。年賀状はその間に書いて投函しました。コレを更新したら、今年も残すところ紅白と蕎麦だけです。
 
 大変中途半端に年を越してしまいますが、『完璧帰趙』はもう少し続きます。今度こそ本当に、もう少しだと思います。

 秦王と相如の駆け引きが続いていますが、前回相如が、秦王の客に対する態度が悪い、もっと正式に歓迎しろ、みたいなことを言っていたのは、その準備をしてる間に璧を趙に返してしまおう、という腹だった訳ですね。強気で出てみるものですよね。日本の政府にも学んで欲しいところですね。なんて月並みな感想です。
 実はもう璧は趙に返してしまいましたよ、と、すぐに打ち明けていますが、相手を下げたり上げたり、この交渉術の行く末はどうなるのか、というところで続きです。新年を迎えた後に新たな気持ちで取りかかりたいと思います。


 ところで、前回は名古屋へ行った話をしましたが、その後、これも先月のことですが、日光に行って来ました。
 小学校の林間学校以来かな?というくらいぶりに、東照宮を拝観してまいりました。寒かったですが、まだ紅葉がキレイでした!今年は天気がおかしくて、11月末でもまだ紅葉なんですよ、との地元の方のお話でした。
IMG_0779.JPG見ざる言わざる・・のあたりです。
 思い返せば災害も多い1年でしたね。皆さんはどんな1年でしたか?
 今年も相変わらずダラダラ更新してたこのブログを見捨てないでいてくださって本当にありがとうございました。
 新しい年が、皆さんにとって良い年でありますように。
 来年もよろしくお願いします。
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2014年12月21日

完璧帰趙C

思いのほか、大変長らくのご無沙汰でした。続きです!
〈本文〉
故臣復取璧。大王必欲急臣、臣頭、今与璧俱砕於柱矣。」
相如持其璧、睨柱、欲以撃柱。
秦王恐其破璧、乃辞謝固請、召有司案図、指従此以往十五都予趙。
相如度秦王特以詐詳為予趙城、実不可得、乃謂秦王曰、
「和氏璧、天下所共伝宝也。 趙王恐、不敢不献。 趙王送璧時、斎戒五日。 今大王亦宜斎戒五日、設九賓於廷。 臣乃敢上璧。」
秦王度之、終不可彊奪。
〈書き下し文〉
故に臣復た璧を取る。
大王必ず臣に急にせんと欲せば、臣の頭(かふべ)は、今璧と俱(とも)に柱に砕けん。」と。
相如其の璧を持ちて、柱を睨(にら)み、以て柱に撃たんと欲す。秦王その璧を破(やぶ)らんことを恐れ、すなはち辞謝(じしゃ)して固く請(こ)ひ、有司(ゆうし)を召して図を案じ、これよりいようの十五都は趙にあたへんと指す。
相如秦王のただ詐詳(さやう)をもって趙に城をあたふるとなすも、実は得(う)べからざらんと はかり、すなはち秦王にいひていはく、
「和氏(かし)の璧は、天下のともに伝えて宝とすると ころなり。趙王恐れ、あえて献ぜずんばあらず。 超王璧を送るとき、斎戒(さいかい)すること五日なりき。今大王もまたよろしく斎戒すること五日、九賓(きゅうひん)を廷に設(まう)くべし。臣すなはちあえて璧をたてまつらんと。」
秦王これをはかるに、つひにしひて奪ふべからずと。
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〈juppo〉まず、軽く訂正があります。前回、あとほんのちょっとだけ続きがあります、なんて言って終わりましたが、その後、実はもっと長く続きがあることに気づき、本文や書き下し文を探し直しました。そういう訳で、今回で終わらないどころか、まだまだ続きます。果たして年内に終了するのか、神のみぞ知る展開になっています。

 とりあえず、いつまで柱に張り付いているのかと思われた相如は、何とか怒りを鎮めて元の姿に戻る所まで来ました。怒りの表情を描きながら、懐かしの大魔神を思い出さないでもなかったです。

 終わりの方で相如が要求している「九賓の礼」というのは、朝廷が候とか伯とか九種あるレベルの客を大切にもてなすことを言うのだそうです。自分のことも、そのレベルの客と同じに扱え、と言ってるんですね。

 まだまだ両者の駆け引きは続きそうです。最終的に璧は誰のものになるのでしょうか、乞うご期待です。


 ところで前回、「名古屋に行って来ます」と書いたまま更新が滞ったので、名古屋から帰って来ないのかと思った方はいないでしょうが、名古屋に行って来ました。
 ナゴヤドームのSMAPのコンサートに行きました!
IMG_0687.JPG
 東京在住なのにわざわざ名古屋まで行ったのは、2年前のコンサートで東京ドームに外れて行けずじまいになった二の舞を避けるためと、母を連れて行くのでせっかくなら旅行がてら行こうかな、と思ったからです。
 一泊して、帰る前に明治村にも寄りました!子どもの頃に一度、家族で行ったときは雨で寒かった思い出しかありませんでしたが、今回も雨でした。
IMG_0717.JPG
 新しいナビのおかげで新東名にもすいすい乗れました。楽しかったです!
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2014年11月07日

完璧帰趙B

ご無沙汰してしまいました。皆さん、お元気ですか。私は元気です。
〈本文〉
趙王悉召群臣議。
皆曰、
『秦貪負其彊、以空言求璧。償城恐不可得。』
議不欲予秦璧。
臣以為、布衣之交、尚不相欺。
況大国乎。且以一璧之故、逆彊秦之驩、不可。
於是、趙王乃斎戒五日、使臣奉璧、拝−送書於庭。
何者、厳大国之威、以修敬也。今臣至、大王見臣列観、礼節甚倨。
得璧伝之美人、以戯弄臣。臣観大王無意償趙王城邑。
〈書き下し文〉
趙王悉(ことごと)く群臣を召し議せしむ。
皆曰はく、
『秦は貪(たん)にして其の彊(つよ)きを負(たの)み、空言(むなごと)を以て璧を求む。
償城恐らくは得べからざらん。』と。
議秦に璧を予(あた)ふるを欲せず。
臣以為(おもへ)らく、布衣(ふい)の交りすら、尚ほ相(あ)ひ欺かず。
況(いは)んや大国をや。
且つ一璧の故を以て、彊(きやう)秦の驩(くわん)に逆らふは、不可なりと。
是に於ひて、趙王乃(すなは)ち斎戒(さいかい)すること五日、臣をして璧を奉ぜしめ、書を庭に拝送す。
何となれば、大国の威を厳れて、以て敬を修むればなり。
今臣至るに、大王臣を列観に見て、礼節甚だ倨(おご)る。
璧を得るや之を美人に伝へ、以て臣を戯弄(きろう)す。
臣大王の趙王に城邑(いふ)を償ふに意無きを観(み)る。
kanpeki3.jpeg
〈juppo〉それにしても、漢文はどこまで読んでも漢字ばっかりですね。授業で扱う際にはさらに、レ点を打ったり送り仮名を添えたりしなければならない訳ですから、これほど面倒なことはないですね。皆さん、ご苦労様です。

『完璧帰趙』は3回目になりますが、まだ終わりではありません。ほとんど終わりなんですけど、ほんのちょっとだけ残ってしまいました。あと1回だけ、ほんのちょっとだけ続きます。
 この3回目はずーーーっと相如のひとり語りです。懐かしの趙王やその家来の台詞も出てきていますが、全部相如の回想の中での台詞です。
 ひとりで語っている間じゅう、ずっと髪の毛が逆立っていたのかどうか定かではないんですけど、元に戻すタイミングを失った結果、このまま語ってもらいました。

 さて、この週末は母と名古屋までちょこっと行って来ます。この続きに着手するのはまた、その後になります。名古屋についての話も含めて、次回にご期待ください。

   
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2014年10月22日

完璧帰趙A

『完璧帰趙』が帰ってまいりました。璧はまだ趙に帰って来ていませんが。
〈本文〉
趙王於是、遂遣相如奉璧西入秦。
秦王坐章台、見相如。
相如奉璧奏秦王。

秦王大喜、伝以示美人及左右。
左右皆呼万歳。

相如視秦王無意償趙城、乃前曰、

「璧有瑕。請指示王。」

王授璧。
相如因持璧、卻立倚柱、怒髪上衝冠。

謂秦王曰、

「大王欲得璧、使人発書至趙王。
〈書き下し文〉
趙王是に於いて、遂に相如をして璧を奉じて西して秦に入らしむ。
秦王章台に坐して、相如を見る。相如璧を奉じて秦王に奏す。
秦王大いに喜び、伝へて以て美人及び左右に示す。左右皆万歳と呼ぶ。

相如秦王の趙に城を償ふの意無きを視(み)て、乃ち前(すす)みて曰はく、
「璧に瑕(きず)有り。請ふ王に指示せん。」と。

王璧を授く。相如因りて璧を持ち、卻立(きやくりつ)して柱に倚(よ)り、怒髪上りて冠を衝く。
秦王に謂ひて曰はく、
「大王璧を得んと欲し、人をして書を発して趙王に至らしむ。
kanpeki2.jpeg

〈juppo〉
 朝晩寒くなりましたねー。皆さんお元気ですか。
『若紫』で中断した、『完璧帰趙』の続きです。中断している間に、1回目のお話を忘れてしまいましたね。私もです。

 秦の王が趙の王の持っている璧を欲しがって、くれたら城を15個あげると言って来た、というところまででした。
 という訳で、秦まで璧を持ってやって来た相如です。案の定、城はもらえなさそうですが、もらえなければ璧をそのまま持ち帰ると言って出て来た相如がこの後どうするのか、というところで続きます。
 タイトルからして、無事に持ち帰ることは想定の範囲内ですけどねー。
 
 璧にキズがついてるから、どこについてるか示させろ、と言ってとりあえず璧を手に戻すのはなかなかの策ですね。
 次回も相如の交渉術が続きます。お待ちください。


 ところで先日、葛西臨海水族園の帰りに壊れたカーナビがその後ついに回復しなかったので、新しいナビをつけました!
 10年乗ってる軽には似つかわしくないハイテクな機械が搭載されました。TVまで見られるんですね〜カーナビって。う、運転中は見ません。安全運転に努めます。
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2014年09月05日

完璧帰趙@

9月になりました。もう9月なんですね。リクエストにお応えします。漢文です。『史記』です。
〈本文〉
於是、王召見、問藺相如曰、
「秦王、以十五城請易寡人之璧。可予不。」
相如曰、
「秦彊而趙弱。不可不許。」
王曰、
「取吾璧、不予我城、奈何。」
相如曰、
「秦以城求璧、而趙不許、曲在趙。趙予璧、而秦不予趙城、曲在秦。均之二策、寧許以負秦曲。」
王曰、
「誰可使者。」
相如曰、
「王必無人、臣願奉璧往使。城入趙而璧留秦。城不入、臣請完璧帰趙。」
〈書き下し文〉
是(ここ)に於いて、王召見し、藺相如(りんしやうじよ)に問ひて曰はく、
「秦王、十五城を以て寡人の璧(へき)に易(か)へんことを請ふ。予(あた)ふべきや不(いな)や。」と。
相如曰はく、
「秦は彊(つよ)くして趙は弱し。許さざるべからず。」と。
王曰はく、
「吾が璧を取りて、我に城を不へずんば、奈何(いかん)せん。」と。
相如曰はく、
「秦城を以て璧を求むるに、趙許さずんば、曲は趙に在り。趙璧を予ふるに、秦趙に城を予へずんば、曲は秦に在り。之(こ)の二策を均(はか)るに、寧(むし)ろ許して以て秦に曲を負はしめん。」と。
王曰はく、
「誰(たれ)か使ひすべき者ぞ。」と。
相如曰はく、
「王必ず人無くんば、臣願はくは璧を奉じて往(ゆ)きて使ひせん。城趙に入らば璧は秦に留めん。城入らずんば、臣請ふ璧を完うして趙に帰らん。」と。
kanpeki1.jpeg
〈juppo〉「完璧」を「完壁」と間違えて書いているのをよく見ますね。かつて私も間違えた学生のひとりでした。「ぺき」は壁じゃなくて璧なんですね。下の部分が、土じゃなくて玉なんです。
「璧」を画像検索すると、丸くてキレイなものがいろいろ出て来ます。
 元になったお話も、カベの話じゃなくて何やら丸くて大事なものの話です。その丸い璧とかいうものが、どれほど貴重なものなのか分かりませんが、城15個と交換してもらえるほどの価値があるようですから破格です。

 このお話は、以前書いた『刎頸之交(ふんけいのまじわり)』の前の部分に当たるお話です。今回、藺相如が趙王のためにひと働きしますが、その働きによって相如の位が上がるところから『刎頸之交』は始まるんでした。
 さらにこの「完璧帰趙」のもっと前に、「和氏璧(くわしのへき)」というお話があって、趙の王はその時、楚で和氏の璧というのをもらったらしいのです。その話もいつか、機会があれば描くかもしれません。
 今回このお話を描くに当たって、藺相如その他の登場人物はどんな風に描いたっけ、と以前描いた「刎頸之交」の原稿を引っ張り出して見直し、ついでに他の作品の原稿も広げて読みふけってしまうという、自画自賛の夜を過ごしたりしていました。面白いですね。時間が経ってまとめて読むと自分で描いたものが。

 本文はこちらのサイトを参考にしました。
http://kanbunjuku.com/archives/405

 調べるうちに、『十八史略』に『完璧而帰』というタイトルがあり、もっと短くまとまった内容の同じ話を見つけましたが、リクエストいただいたのが『史記』の『完璧帰趙』でしたので、ごらんの内容でお届けすることにしました。長いので、3回くらいで描きます。

 相如の台詞で「曲は趙に在り」というのがありますが、この「曲」は中国語では「道理に反した、誤った」という意味があるんですね。

 漢文はもともとは中国語で書かれたものな訳ですから、これをそのまま読めるようになると、中国語もマスター出来る!ってことでしょうか。
ちなみに「完璧帰趙」を中国語読みすると「ワンビーグイチョウ」となるそうです。

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2014年04月30日

臥薪嘗胆B

予告通りゴールデンウィークに突入してしまいましたが、やっと最終回です。
〈本文〉
呉人憐之、立祠江上、命曰胥山。

越十年生聚、十年教訓。周元王四年、越伐呉。呉三戦三北。夫差上姑蘇、亦請成於越。范蠡不可。
夫差曰、

「吾無以見子胥。」

為幎冒乃死。
〈書き下し文〉
呉人之を憐れみ、祠(ほこら)を江上(かうじやう)に立て、命(な)づけて胥山(しょざん)と曰ふ。

越十年生聚(ゆう)し、十年教訓す。周の元王の四年、越呉を伐つ。呉三たび戦ひて三たび北(に)ぐ。夫差姑蘇(こそ)に上り、亦た成(ひらぎ)を越に請ふ。范蠡(はんれい)可(き)かず。
夫差曰はく、

「吾以つて子胥を見る無し。」と。

幎冒(べきぼう)を為(つく)りて乃ち死せり。
gashinshotan3.jpeg
〈juppo〉ゴールデンウィークは皆さんいかがお過ごしですか。私は毎日、『奥様は魔女』を見ています。

 周の元王の四年というのは、@で出て来た敬王の二十六年のように、時の周の王の在位で年数を表したもののようです。王が変わっているので、@で描いた時代から何年くらい経っているのかよくわかりません。気になる方は、調べてみてくださいね。投げやりですみません。

 薪の上に寝てまで自らを鼓舞していた夫差が自死、というところでお話は終わっていますね。国が破れてしまえば英雄も生き残る道なし、てことでしょうか。虚しいです。争いはやはり。

 ところで、今回このお話を漫画にするにあたって、こちらのサイトの訳を参考にさせていただきました。書き下し文も、ほぼそのまま使わせてただいています。

http://manapedia.jp/text/index?text_id=1959

IMG_0483.JPG←プリントアウトしてそのままネームを書き込んだ、作業工程がこちら。
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2014年04月17日

臥薪嘗胆A

お待たせしました。続きです。
〈本文〉
太宰伯嚭受越賂、説夫差赦越。勾践反国、懸胆於坐、臥即仰胆、嘗之曰、

「女、忘会稽之恥邪。」

挙国政属大夫種、而与范蠡治兵、事謀呉。
太宰嚭、譖

「子胥恥謀不用怨望。」

夫差乃賜子胥属鏤之剣。子胥告其家人曰、

「必樹吾墓檟。檟可材也。抉吾目、懸東門。以観越兵之滅呉。」

乃自剄。夫差取其尸、盛以鴟夷、投之江。
〈書き下し文〉
太宰(たいさい)伯嚭(はくひ) 越の賂(まひな)ひを受け、夫差に説きて越を赦(ゆる)さしむ。勾践国に反(かえ)り、胆(きも)を坐臥(ざが)に懸け、即ち胆を仰ぎ之を嘗(な)めて曰(い)はく、

「女(なんじ)、会稽の恥を忘れたるか。」と。

国政を挙げて大夫(たいふ)種(しよう)に属(しよく)し、而(しか)して范蠡(はんれい)と与(とも)に兵を治め、呉を謀(はか)るを事とす。

太宰嚭、子胥謀(はかりごと)の用ゐられざるを恥ぢて怨望(えんぼう)すと譖(しん)す。夫差乃ち子胥に属鏤(しょくる)の剣を賜ふ。

子胥其の家人に告げて曰はく、

「必ず吾が墓に檟(ひさぎ)を樹ゑよ。檟は材とすべきなり。吾が目を抉(えぐ)りて、東門に懸けよ。以つて越兵の呉を滅ぼすを観んと。」

乃ち自剄(じけい)す。夫差其の尸(し)を取り、盛るに鴟夷(しい)を以つてし、之を江に投ず。
gashinshotan2.jpeg
〈juppo〉もう本当に難しい漢字だらけで、見ているだけで嫌になりますね。それも恐らく一生使うことはない漢字ばかりですから、私が高校生だったら「こんなものを勉強しても何の役にも立たない」と思ってたでしょうね。
 実際そんな高校生だったので、漢文なんてマジメに勉強した記憶がありません。今になって苦労するとは。やっぱり漢文も勉強しておけば良かったです。人生なんてそんなもんです。

 ところで、このお話を漫画にするのに私は教科書を見ていないので、『十八史略』からの抜粋をサイトから拾って来て描いているのですが、教科書の出典も同じなのでしょうか。『史記』にも同じ場面を扱った内容があることを今日知って、そちらは内容が多少異なるようなのです。Wikipediaによれば、日本では『十八史略』の方がお馴染みらしいので、このまま進めますが。はい、もう少し進みます。

 胆はここでは「きも」と読み、肝と同じです。辞書を引くと「内臓の主要部分。特に肝臓。」と出て来ます。動物の肝臓を生で嘗めている、ってことでしょうか。苦いかどうかというより、気持ち悪いですね。

 伯嚭という人はそもそも子胥をよく思っていなかったようで、その伯嚭の計略によって子胥は夫差の信頼を失ったばかりか、夫差から剣を賜ってしまう、ということは、この剣で死ね、ってことなんだそうです。何の釈明もせずに「はい、そうですか」みたいに死んでしまった子胥です。無念ですね。呉はそれまで子胥が仕えていた国なんですけど、滅びてしまえ、と思いつつ亡くなった訳です。

 檟(ひさぎ)は日本では楸と書くようですが、本文と同じ字を漫画にも使っています。何しろ木の名前のようです。その木で柩(ひつぎ)を作るようです。順番が逆なのでは、という気もします。

 もう1回だけ、続きます。ゴールデンウィークに突入しそうです。
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2014年04月06日

臥薪嘗胆@

 4月になりました。新学期ですね。私はちょっぴりタモロスです。ずいぶん前にいただいたリクエストにお応えします。漢文『十八史略』から、「臥薪嘗胆」です。
〈本文〉
呉王闔廬、挙伍員謀国事。員、字子胥、楚人伍奢之子。奢誅而奔呉、以呉兵入郢。
呉、伐越。闔廬傷而死。子不差立。子胥復事之。夫差志復讎。朝夕臥薪中、出入使人呼曰、
「夫差而忘越人之殺而父邪。」
周敬王二十六年、夫差敗越于夫椒。越王勾践以余兵棲会稽山、請為臣妻為妾。
子胥言、
「不可。」
〈書き下し文〉
呉王闔廬(ごおうこうりょ)、伍員(ごうん)を挙げて国事を謀(はか)らしむ。員、字(あざな)は子胥(ししょ)、楚人(そひと)伍奢(ごしゃ)の子なり。奢誅(ちゅう)せられて呉に奔(はし)り、呉の兵を以(もち)ゐて郢(えい)に入る。
呉 越(えつ)を伐(う)つ。闔廬傷つきて死す。子の夫差(ふさ)立つ。子胥復(ま)た之に事(つか)ふ。夫差讎(あだ)を復(ふく)せんと志す。朝夕(ちょうせき)薪中(しんちゅう)に臥(が)し、出入(しゅつにゅう)するに人をして呼ばしめて曰はく、
「夫差、而(なんぢ)越人(えつひと)の而の父を殺ししを忘れたるか。」と
周の敬王(けいおう)の二十六年、夫差越を夫椒(ふせう)に敗る。
越王勾践(こうせん)、 余兵を以(ひき)ゐて会稽山(かいけいざん)に棲(す)み、臣と為り妻は妾(せふ)と為らんと請(こ)ふ。子胥言ふ、
「不可なり。」と
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〈juppo〉臥薪嘗胆という四字熟語は耳にするものの、使ったこともどんな意味か深く考えたこともなく、何となく苦労するって意味だろうな〜、なんて思っていた皆さん、私もその程度でした。
 「薪に臥し、胆を嘗める」とは、薪の上に寝たり苦い胆をなめるということですから、わざわざ自分で自分を追い込んで、心に秘めた決意を忘れないようにする、ストイックな面々のお話です。

 出てくる人の名前がまず難しいですね。漢字が難しいです。
伍員さんは「伍子胥」という名前の方が有名なようなので、最初のコマ以外は「子胥」で統一しました。
 字(あざな)というのは中国で、成人男子が実名以外につけた名だそうですが、実名じゃない方が通り名になっているのは何故なんだ、と思いながら描きました。
 子胥さん以外の登場人物も、よくわからないまま描いていますが、どうやらどの人も有名人らしく、検索すると軒並み肖像が出て来ます。
 それら肖像を一応参考に描きましたが、似ているかどうかは自信がありません。多分本人に会ったことがある人はいないでしょうから、いつものようにイメージで読んでくださいね。

 「周の敬王の二十六年」というのは、日本でいえば元号みたいなものらしく、当時は周に力があったので、その国の王の在位何年度、てな数え方で時代を表したようです。

 夫差と夫椒が似ていて紛らわしいですが、前者は人の名で後者は地名です。
 ひとまず、薪の上に寝たのが夫差だったことがわかったところまでで、続きます。胆を嘗めるのは誰なんでしょう。


 ところで、「笑っていいとも!」が終わってしまいましたね。
 長年のいいともウォッチャーとして私は、ここ数年は番組内容とタモリさんに老いを感じていたこともあり「そろそろ終わっていいとも」と思っていた一人でしたが、本当に終わってしまった今、じわじわと喪失感に苛まれています。
 いつでもそこに当たり前にある日常のありがたみは、失って初めてわかるものですね。
posted by juppo at 05:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 漢文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月29日

断腸

 『若紫』がまだ途中で、以下略。
 リクエストにお応えします!漢文です。ハンカチのご用意を!
〈本文〉
桓公入蜀、至三峽中。部伍中有得猿子有。其母縁岸哀號、行百餘里不去。
遂跳上船、至便即絶。破視其腹中、腸皆寸寸断。公聞之怒、命黜其人。
〈書き下し文〉
桓公(かんこう)、蜀(しょく)に入り、山峡(さんきょう)の中(うち)に至る。部伍(ぶご)の中に猿子(えんし)を得(う)る者あり。その母岸に縁(よ)りて哀號(あいごう)し、行くこと百余里にして去らず。
ついに跳(おど)りて船に上(のぼ)り、至れば便即(すなわ)ち絶(た)ゆ。破りてその腹の中を視(み)れば、腸(はらわた)みな寸寸(すんずん)に断(た)えたり。公、之を聞きて怒(いか)り、命じてその人を黜(しりぞ)けしむ。
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〈juppo〉描きながら涙が止まりませんでした。と、いうことはないですが、日頃何気なく目にしていた「断腸の思い」という言葉の裏に、こんな壮絶な物語が隠されていたとは!全米が泣いた!て感じで映画化決定ですよね。

 『断腸』というタイトルはこのエピソードの通称で、出典は『世説新語』という書物の、『黜免』というお話のようです。
 桓公は四世紀の中国の人です。武将です。桓温が本当の名前です。蜀は地名です。三峽は長江の上流にある三つの渓谷のことだそうです。

 猿のお母さんは内臓がずたずたになって死んだのですが、私が描いた4コマ目の絵だと、なんか甲板にお腹を打ち付けて死んだみたいになってしまいました。もちろんそうではありませんので。我が子を取り戻したい悲痛な思いで腸もねじ切れるほどだったということですね。

 最後のコマの「激怒」は「げきおこ」と読まないでくださいね。「げきど」ですよ。

 短いながらも胸を打つお話ですよねー。これからは「断腸の思い」という言葉を用いる時は、本当に腸がちぎれるほどの感情かどうか、冷静に判断して使いたいと思います。


 ところで、9月の初めに健康診断に行った私は尿タンパクの数値で再検査になってしまいました。体調によっても出る数値ということでしたが、再検査の結果が出るまではやはり気がかり。今日結果を聞きに行き、全く何の問題もないことが分かりました〜良かった〜。
 今年の夏はあんなに暑かったので、ほぼ毎日軽い熱中症のような健康状態でしたから、その影響が出ていたのだと思います。もう暑くないので、すっかり元気です。皆さんも体調にはくれぐれも気をつけてお過ごしください。
posted by juppo at 00:46| Comment(4) | TrackBack(0) | 漢文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする