2011年09月24日

秋のけはひ

はいっ、お待たせしました!リクエストにお応えします!またカテゴリが増えましたか?多分そうです。『紫式部日記』です!
〈本文〉
秋のけはひ入りたつままに、土御門殿(つちみかどどの)のありさま、いはむかたなくをかし。池のわたりのこずゑども、遣水(やりみづ)のほとりのくさむら、おのがじし色づきわたりつつ、おほかたの空もえんなるに、もてはやされて、不断(ふだん)の御読経(みどきやう)の声々、あはれまさりけり。
 やうやう涼しき風のけはひに、例の絶えせぬ水のおとなひ、夜もすがら聞きまがはさる。
 御前(おまへ)にも、近うさぶらふ人々、はかなき物語するを、聞こしめしつつ、なやましうおはしますべかめるを、さりげなくもてかくさせたまへる御有様(みありさま)などの、いとさらなることなれど、うき世のなぐさめには、かかる御前をこそたづねまゐるべかりけれど、うつし心をばひきたがへ、たとしへなくよろづ忘らるるも、かつはあやし。
akikehai.jpg
〈juppo〉夏休みが終わって早や3週間、ぼちぼち中間テスト(2学期制の学校では期末テスト)の日程が聞こえてくるにつれて、リクエストをいただく機会も増えてまいりました。
いつまでも放っておくと何をリクエストされたか本気で忘れてしまうので、覚えているものから片づけていきたいと思います。

今回は『紫式部日記』の「秋のけはひ」です。別に本当に秋の気配がしてくるまで温めていた訳ではないんですけど、本文と格闘し始めてから1ヶ月くらい、最初の3行4行、景色の説明部分を読むだけで挫折し続けておりました。

『紫式部日記』は紫式部が書いた日記です。紫式部は『源氏物語』を書いた人です。
しつこく何度も言うようですが、柴田の柴は紫とは違います。

紫式部さんは当時、一条天皇の中宮の彰子(しょうし)に仕えています。
この時代、中宮というのは后のことなんですが、もう一人皇后と呼ばれる人がいて、二人の后が並立していたらしいです。ちなみにこの時の皇后が、『枕草子』に登場する定子(ていし)のことなんです。

並立した二人の后に仕えた式部さんと清少納言さんは、よく比較されたり並んで語られたりしますよね。私もこうして漫画を描きながら「清少納言の定子への愛に似てるなー」と思ってました。いとやんごとなきご身分のお后様というのは押しなべて人を魅了する風格を持ち合わせていたのでしょうね。

土御門殿は藤原道長の邸宅だそうです。中宮彰子の実家です。身重だったので里帰り中で、安産祈願の読経が二十四時間聞こえていたらしいです。

秋の景色を描くのに、白黒では味気ないと思って塗り絵してみました。ちょっと薄味。


「秋のけはひ」というタイトルの文章がどこまで教科書に載っているか分からないんですけど、この本文が寛弘五年七月十九日分の日記でキリがいいので、ひとまず続きは描きません。続きがお読みになりたい方はリクエストください。



ところで、私のイラストが載った本が出ました。Z会出版の『速読古文単語(改訂版)』です。改訂前の本には私のイラストは載っていません。
http://www.zkai.co.jp/books/search/book_detail.asp?ID=1978

このブログで描いているような丸顔の平安人がわんさか載っています。たくさん描きました。昨年の暮れから仕事が始まり、最後の帯用のイラストを描いて発送したのは忘れもしない6月19日。母が倒れた日でした。

その母ですが、おかげ様でそろそろ退院する話は出ているのですが、退院後の介護サービスとか支援とかそういうことを具体的に決めないうちは事が運ばないのですね。
段取りを進めるのに明日ケアマネージャーさんに会いに行くため、今日からまた帰宅しています。もう四回目の外泊で、いろいろ支障はあるものの、すっかり家にいるのに馴染んで私も母も「このまま家にいようか」という台詞が出てきちゃったりします。


botsu.jpgたくさん描いた内にはラフの段階でボツになった絵もたくさんありました。この絵は私の勘違いでボツなのに清書してしまったもの。何という語のイラストなのか、もう忘れました。



posted by juppo at 01:03| Comment(6) | TrackBack(1) | 紫式部日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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