〈本文〉
坊主帰りたりければ、この児さめほろと泣く。
「何事に泣くぞ。」
と問へば、
「大事の御水瓶を、誤(あやま)ちに打ち割りて候ふ時に、いかなるご勘当かあらんずらんと、口惜しくおぼえて、命生きてもよしなしと思ひて、人の食へば死ぬと仰せられ候ふ物を、一杯食へども死なず。二、三坏まで食べて候へども大方死なず。はては小袖に付け、髪に付けてはべれどもいまだ死に候はず。」
とぞ言いける。
飴は食はれて、水瓶は割られぬ。慳貪の坊主得るところなし。
児の知恵ゆゆしくこそ。学問の器量も、むげにはあらじかし。

〈juppo〉まったく児の知恵恐るべし、ですね。完璧な言い逃れではないですか。坊さんはぐうの音も出ませんね。最初に「食べたら死ぬ」なんてウソをついた自分が悪いのだし、死ぬほど後悔しているという子どもを責める訳にいきません。一分の隙もない弁解と言えるでしょう。
ちょっと思ったんですけど、現代の日本の子供たちに、国が求めている学力って、こういうのですか?
たまに学力テストの問題を見ると、算数の問題でも文章で答えるような、答えが一つではないような問いがありますよね。
方程式にあてはめるだけでなく、自分で解決法を導きだす力というものが、今の子供たちには欠けている、という声を良く聞きます。
そんな子供たちに読んで欲しいのがこの作品だ!・・・てことはないですか?
日本の子供たちが、皆この児のように計略を巡らすようになってしまっても困りますけども。
最後に「学問の器量もむげにはあらじ」と言っているので、賢さの証しであることは間違いないようですけどね。