2021年08月06日

鳥飼院@

ご無沙汰してしまいました。暑いですね。リクエストにお応えします。『大和物語』第百四十六段です、
〈本文〉
 亭子(ていし)の帝、鳥飼院(とりかひのゐん)におはしましにけり。例のごと、御遊びあり。「このわたりのうかれめども、あまたまゐりてさぶらふなかに、声おもしろく、よしあるものは侍(はべ)りや」と問(と)はせ
たまふに、うかれめばらの申すやう、「大江(おほえ)の玉淵(たまぶち)がむすめと申す者、めづらしうまゐりて侍り」と申しければ、見せたまふに、さまかたちも清(きよ)げなりければ、あはれがりたまうて、うへに召(め)しあげたまふ。「そもそもまことか」など問はせたまふに、鳥飼といふ題を、みなみな人々によませたまひにけり。おほせたまふやう、「玉淵はいとらうありて、歌などよくよみき。この鳥飼といふ題をよくつかうまつりたらむにしたがひて、まことの子とはおもほさむ」とおほせたまひけり。
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〈juppo〉誰と会っても「暑いですね〜」抜きでは会話が始まらない、そんな季節がやってまいりました。必ず来るし、必ず終わる季節ですからね、しばしの我慢ですね。

 亭子の帝というのは、宇多天皇のことのようです。鳥飼院は、今の大阪あたりにあった離宮のことだそうです。「うかれめ」を遊女と訳しましたが、たいてい遊女と訳されるようですが、ここでの遊女は時代劇などに登場する春を売る遊女ではなく、歌ったり踊ったり、一緒に遊んでくれる女性たちのことで、まさに「遊ぶ女」なのですね。時代が下ると、売春もするようになったようですが。

 「大江の玉淵」という人の名が、当たり前のように語られていますが、代々平安時代の貴族で、有名な人だったんですね。このお話を読む限り、宇多天皇とも親交があったようで、懐かしさからその娘らしき遊女にも親しみを覚えて招き寄せています。「さまかたちも清げ」だったせいでもありそうですけどね。
 そういうわけで急遽、鳥飼院で鳥飼お題で歌を詠む会になりました。その歌は次回。全部で3回あります。

 しばらくは暑い毎日ですが、皆さん熱中症には気をつけてください。私はすでに軽く。毎年そんな感じです。
posted by juppo at 00:26| Comment(0) | 大和物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月10日

あだし野の露A

お待たせしました。後編です。
〈本文〉
住み果てぬ世に、みにくき姿を待ちえて何かはせん。命長ければ辱(はぢ)多し。長くとも四十(よそぢ)に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出でまじらはん事を思日、夕(ゆふべ)の陽(ひ)に子孫を愛して、栄(さか)ゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世をむさぼる心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。
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〈juppo〉少し前に漢文の漫画をお届けしながら「長生きはするものです」と書いていたわずか後に、「長生きしてどうする」なお話をご紹介することになるとは。そいつはすいませんでしたねー兼好さん、て感じですが、吉田兼好さんも定かでないにしろ70歳くらいまでご存命だったようですよ。

 結局のところ、年をとったら出しゃばらず大人しくして天命を待つがよろしい、ってことでしょうか。年を取るとどうしても、若い頃のように働けないですし、考えも偏るかもしれませんし、容姿もそりゃあ劣化はしますから。
 
 とはいえ、兼好さんの時代から比べたら寿命が圧倒的に伸びた21世紀に、40歳を過ぎたからといってそうそう引っ込んではいられないですね。人生の折り返しにも届いてないですよね。
 子や孫の可愛らしい姿を見ながら、「大人になるまで見届けたい」と願うのも自然なことだと思います。「夕の陽に」というのは寿命を1日の長さに換算して、陽の沈む時刻イコール人生の終わり頃、と言っているようです。

 兼好さんのご説に従えば、年をとっても「生をむさぼらず、もののあはれ」を知りながら生き続けるのであれば何歳になっても良い、ということだと理解したいです。

 誰もが等しく年は取っていくものですからね。永遠ではない人生を「あー面白かった」と振り返って終えられるように、毎日を過ごしていきましょう。
posted by juppo at 22:52| Comment(0) | 徒然草 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月06日

あだし野の露@

リクエストにお応えします。「徒然草」第七段です。2回でお送りします。
〈本文〉
 あだし野の露きゆる時なく、鳥部山(とりべやま)の烟(けぶり)立ちさらでのみ住みはつるならひならば、いかにもののあはれもなからん。世はさだめなきこそいみじけれ。
 命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕(ゆふべ)を待ち、夏の蝉(せみ)の春秋(はるあき)を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年(ひととせ)を暮(くら)すほどだにも、こよなうのどけしや。あかず惜(を)しと思はば、千年(ちとせ)を過(すぐ)すとも、一夜(ひとよ)の夢の心地こそせめ。
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〈juppo〉昨日、この記事を投稿しようとしてPCを開いて作業中に、その段階になって漫画に描きもらした箇所がある事に気づきました。そして今日、その描き忘れた部分を描いて付け足しましたので、無事に更新します。付け足し作業はお絵かきソフトで行いました。

 さて今回は兼好さんの死生観というか、儚い命でも「そこがいい」話です。
 あだし野とは、京都嵯峨野の奥にあった墓地だそうです。東山の鳥部山のふもとにあったんですって。鳥部山の烟というのは、火葬場の煙なんですねー。
 そこにある露とか煙というのは、いつもあるものではないと、あったと思うと消えていたりするのだけれど、ずーっとあってもつまらないと思ってるんですね、兼好さんは。

 カゲロウとかセミとか、中でも短命なものと比べていますが、確かに生き物の中では人間は長生きですね。それでももっともっと、と願ってしまうのが人間の弱さなのか、死への恐れなのか、そういう欲は尽きないものです。
 
 長いようでもあっという間なのが人生という気もしますが、その限られた生をじっくり味わって生きたらどう?という兼好さんのメッセージなのかな、と思ったところで後半に続きます。
posted by juppo at 20:27| Comment(4) | 徒然草 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月30日

桃花源記C

はい、最終回です。
〈本文〉
此中人語云、不足爲外人道也。既出得其船、便扶向路、處處誌之。及郡下、詣太守説如此。太守即遣人随其往、尋向所誌、遂迷不復得路。南陽劉子驥、高尚士也。聞之、欣然規往、未果尋病終。後遂無問津者。
〈書き下し文〉
この中の人、語(つ)げて云ふ、外人(ぐわいじん)の爲(ため)に道(い)ふに足らざるなりと。既(すで)に出(い)でその船を得て、便(すなは)ち向(さき)の路(みち)に扶(そ)ひ、處處(しよしよ)にこれを誌(しる)す。郡下(ぐんか)に及び、太守(たいしゆ)に詣(いた)りて説(と)くこと此(か)くの如(ごと)し。太守即(すなは)ち人を遣(や)りてその往(ゆ)くに随(したが)ひ、向(さき)に誌(しる)せし所を尋(たづ)ねしむるも、遂(つひ)に迷(まよ)ひて復(ま)た路(みち)を得ず。南陽(なんやう)の劉子驥(りうしき)は、高尚(かうしやう)の士(し)なり。之(これ)を聞き、欣然(きんぜん)として往(ゆ)かんと規(はか)るも、未(いま)だ果(は)たさざるに尋(つ)いで病みて終(を)はる。後(のち)遂(つひ)に津(しん)を問ふう者なし。
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〈juppo〉行く先々で歓待を受けたわりに、帰る際に引き止められることもなく、その代わりここのことを誰にも話すなとも言われずに、「話す必要はない」という言い方です。無理して話さなくても、という感じですが、その裏にはやっぱり「話さないでね」と暗に禁止を込めているのでしょうか。
「外人の爲に」の「爲」は、「〜に向かって」という意味だそうです。外の人に対して、ということですね。
「既に出でて」の「既に」は「〜したのち」だそうです。今も使う言葉が入っていると、却ってややこしいですよねー。

 そういうわけで、玉手箱をもらったりはしなかったようですが、二度とその村に行くことはできなかったと。
 最後に南陽の劉子驥という人が唐突に出てきますね。劉麟之(りゅうりんし)という実在の人がいたらしく、薬草を求めて歩くうちに神仙の境に迷い込んだとかいう話があるそうで、その人が訪ねたのもここじゃない?と、物語にちょっと信憑性を持たせる効果ではと言われているようです。もはや、何が現実で何が創作なのかわからなくなるオチです。
 何しろ昔のことなので、そんなことも本当にあったのかもしれません。・・・と、いうような最後のコマにしてみました。

 次回は徒然草の予定です。近いうちに。
posted by juppo at 23:37| Comment(2) | 漢文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月26日

桃花源記B

続きです。今月中に、完結しますよ。
〈本文〉
具答之、便要還家、爲設酒殺雞作食。村中聞有此人、咸來問訊。自云、先世避秦時亂、率妻子邑人來此絶境、不復出焉、遂與外人間隔。問今是何世、乃不知有漢、無論魏晉。此人一一爲具言所聞、皆歎惋。餘人各復延至其家、皆出酒食。停數日、辭去。
〈書き下し文〉
具(つぶ)さにこれに答れば、便(すなは)ち要(むか)へて家(いへ)に還(かへ)り、爲(ため)に酒を設(まう)け雞(とり)を殺して食を作る。村中(そんちゅう)この人あるを聞き、咸(み)な來たりて問訊(もんじん)す。自(みづか)ら云(い)ふ、先世(せんせい)秦時(しんじ)の亂(らん)を避(さ)け、妻子邑人(いふじん)を率ゐてこの絶境(ぜつきやう)に來たり、復(ま)た焉(ここ)より出(い)でず、遂(つひ)に外人(ぐわいじん)と間隔(かんかく)すと。今は是(こ)れ何(いづ)れの世なるかと問ひ、乃(すなは)ち漢(かん)あるを知らず、魏晉(ぎしん)は論ずるなし。この人一一(いちいち)爲(ため)に具(つぶ)さに聞く所を言へば、皆歎惋’(たんわん)す。餘人(よじん)各(おの)おの復(ま)た延(まね)きてその家に至(いた)らしめ、皆(み)な酒食(しゆしよく)を出だす。停(とど)まること數日(すうじつ)にして、辭(じ)し去る。
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〈juppo〉↑の本文、書き下し文はタイプしていますが、読めないやら探せない字やらがあって難儀しています。旧字体なんだけどフォントになくて新字体になっているものもあります。「間隔」の「間」は門構えの中がホントは「月」なんですけど、そんな字はついに見つかりませんでした。探し方が甘いのかもしれませんけれども。

 前回、どうやら好意的だとわかったこの村の人たちに、漁師の人は歓待を受けています。おとぎ話にはありがちな展開です。
「先世」は「前世」みたいですけど、先祖のことなんですね。秦の国は紀元前221〜206年に成立していて、この漁師の人の晋の国は265〜420年にあったそうなので、だいたい500年前にここの人たちの先祖はここにやってきた、ということなんです。その間にあった漢の時代も知らないし、その後のことは言うまでもない、なんですね。「魏晋」は「魏」と「晋」の時代、てことです。
 例えば戦国時代の村の人たちが、戦の世に飽き飽きしてどこか穴の中の世界に隠れて住み続けていたとしたら、今もその頃の営みのまま暮らしている・・・というようなことでしょうか。500年もあったらそれなりに進化してるんじゃないかな〜とも思いますが、何かと進化には争いが不可欠だったりしますから、平和なまま生き続けたら案外それほど環境に変化はもたらされないのかもしれません。

こんな映画を思い出しました。


おとぎ話にありがちなように、訪問者はそのままそこに居つくことはせず、住み慣れた現世に帰ることにします。それから?な最終回は、今月中に。
posted by juppo at 00:18| Comment(0) | 漢文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする