2020年05月21日

御前にて人々とも、また物仰せらるるついでなどにA

新しいテレビを購入し、各種コードと格闘の末接続が整い、充実したテレビライフを取り戻しました!続きです。
〈本文〉
 さて後(のち)ほど経(へ)て、心から思ひ乱るる事ありて、里にあるころ、めでたき紙、二十を包みて給はせたり。仰(おほ)せ言(ごと)には、「とくまゐれ」などのたまはせて、「これは聞(きこ)しめしおきたる事のありしかばなむ。わろかめれば、寿命経(ずみやうきやう)もえ書くまじげにこそ」と仰せられたる、いみじうをかし。思ひ忘れたりつる事をおぼしおかせたまへりけるは、なほただ人にてだにをかしかべかし。まいて、おろかなるべき事にぞあらぬや。心も乱れて、啓(けい)すべきかたもなければ、ただ、
 「かけまくもかしこきかみのしるしには
    鶴の齢(よはひ)となりぬべきかな
あまりにやと啓せさせたまへ」とて、まゐらせつ。台盤所(だいばんどころ)の雑仕(ざふし)ぞ御使(つかひ)には来たる。青き綾(あや)の単衣(ひとへ)取らせなどして。
 まことに、この紙を草子(さうし)に作りなどもてさわぐに、むつかしき事もまぎるる心地して、をかしと心のうちにもおぼゆ。
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〈juppo〉前回、テレビのことで頭がいっぱいで言い忘れましたが、この作品を描く前に疫病を扱った作品を描こうかな、と探していました。こんな状況ですので。先人たちが流行病とどう向き合っていたか、何か得るものがあるのではないかと思って。いろいろ探したんですけど適当なものが見つからず、見送りました。こういうのがあるよ、とお知恵をお持ちの方はリクエストください。

 さて、前回は中宮様の御前にいらした清少納言さん、今回はなにやら思い悩むことがあったとかで里に引きこもっておいでです。何があったんでしょうか。ここでは悩みのもとは明らかになりません。
 相思相愛の中宮様からは贈り物攻撃です。前回、紙がどうの畳がどうのとかなりマニアックなこだわりを発表していたので、気に入りそうな贈答品を選ぶのもたやすいですよね。

 「寿命経」というのはお経の中でも延命を祈願する経文だそうです。これも前回、清少納言さんが良い紙を手に入れたら生きていけそう、なんて言ってたので、中宮様は謙遜気味に「良い紙じゃないから書けないかも」と言ってるんですね。
 「台盤所」は女官たちの控室、「雑仕」は下級の女官のことです。配達に来ただけのお手伝いにお礼の品をあげてしまうほど、清少納言さんの気持ちはだいぶ高まっているようです。悩んでいる時や落ち込んだ時は、このように好きなものに囲まれるに限りますね。そういう時は少し贅沢をしても、自分を慰めるために、好きなものを皆さんも用意しましょう。

 
 ところで無事に繋がった新しいテレビですが、実は以前通りに繋がってないところがまだあります。その部分は急を要さないのでまあいいとして、問題は古いテレビの処分です。新しいテレビを買った家電屋で修理ができるかどうか聞いたら、もう無理だろうとのこと。ではどこかで引き取ってもらおうと思ったら、思い出しましたが「家電リサイクル法」とかいうのが出来てテレビはおいそれと捨てられないのですね。地元町田市の処理場では処分できず、不用品を引き取るお店などでも5000円かかるというんです。そのテレビを買った店に持っていくか、郵便局で「家電リサイクル券」を購入して隣の市の引取り所に運ぶしかないようです。10年以上前に、亡き父がこのテレビをどこで買ったか私にはわかりません。知っていたとしても保証書でもなければ買ったことを証明できない。保証書を探すか、郵便局に行くかの2択です。そうこうしている間、古いテレビがどこにあるかというと、車に積んであるのです。家に置いておくと邪魔なので。車の中でも邪魔なんですけど。早く処分したい。
posted by juppo at 22:07| Comment(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月16日

御前にて人々とも、また物仰せらるるついでなどに@

テレビが壊れました。他に何も考えられない中で更新しています。久しぶりに『枕草子』、二五九段です。長いタイトルですね。
〈本文〉
 御前(おまへ)にて人々とも、また物仰せらるるついでなどにも、「世の中の腹立たしうむつかしう、かた時あるべき心地もせで、ただいづちもいづちも行きもしなばやと思ふに、ただの紙のいと白う清げなるに、よき筆、白き色紙(しきし)、みちのくに紙(がみ)など得(え)つれば、こよなうなぐさみて、さはれ、かくてしばしも生きてありぬべかんめりとなむおぼゆる。また高麗(かうらい)ばしの筵(むしろ)、青うこまやかに厚気が、縁(へり)の紋いとあざやかに、黒う白う見えたるを、ひきひろげて見れば、何か、なほ、この世はさらにさらにえ思ひ捨つまじと、命さへ惜しくなむなる」と申せば、「いみじくはかなき事にもなぐさむなるかな。姨捨山(をばすてやま)の月は、いかなる人の見けるにか」など笑はせたまふ。候(さぶら)ふ人も、「いみじうやすき息災の祈りななり」など言ふ。
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〈juppo〉テレビなしではステイホームで過ごせません。テレビのない文化的な生活に挑むチャンスなどとは考えない私は新しいのを買いに走りましたが、コロナのせいで家電屋も早仕舞いしているではありませんか。急遽NHKプラスのアプリをダウンロードして、チコちゃんはスマホで見ました。明日また家電屋に行ってきます。明るいうちに。

 以前、『姨捨』という作品を描いた時に、「『枕草子』に姨捨山のエピソードが出てくる」とコメントを寄せていただき、いつかそちらも作品化しようとその時思ってから何年経ったことやら、と、いつものような化石候補の一つです。

 清少納言さんの好き嫌いの激しさは今に始まった事ではないですけど、紙だの筆だの畳だので命さえ惜しくなるとは。そんなことで心が慰められるなら、慰めがたい気持ちを表す「姨捨山の月」を見るのはどんだけ慰められない人なのか、と中宮さまは問うておられるんですね。
 「息災の祈り」は仏教の言葉で、災難を防ぐ祈りだそうです。あっさり「安全祈願」としてしまいましたが、まぁそういうことですよね。

 この作品にはかなり畳へのこだわりが綴られてます。今後も出てきます。今回の「筵」は薄い敷物のことで、「ひきひろげて」見たりしてるので、折りたたんだりできるものだそうです。ここでは「ひきひろげて」と原文にあるのでそう書きましたが、私は「布団をひく」という言い方には違和感を抱いています。「しく」ではないかと。「敷布団」なら。

 私の違和感はともかく、全部で4回でご紹介します。続きは近いうちに。
posted by juppo at 04:15| Comment(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月26日

若紫(北山のかいまみ)E

皆さんお元気ですか!私もマスクを作り始めました。「かいまみ」、ついに最終回です。
〈本文〉
「この世にののしりたまふ光る源氏、かかるついでに見たてまつりたまはんや。世を棄(す)てたる法師の心地にも、いみじう世の愁(うれ)へ忘れ、齢(よはひ)のぶる人の御ありさまなり。いで御消息(せうそこ)聞こえん」とて立つ音すれば、帰りたまひぬ。
 あはれなる人を見つるかな、かかれば、このすき者どもは、かかる歩(あり)きをのみして、よくさるまじき人をも見つくるなりけり、たまさかに立ち出づるだに、かく思ひの外(ほか)なることを見るよ、とをかしう思す。さても、いとうつくしかりつる児(ちご)かな、何人ならむ、かの人の御かはりに、明け暮れの慰めにも見ばや、と思ふ心深(ふか)うつきぬ。
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〈juppo〉前回、源氏の訪問を聞きつけた坊さんは今回、ミーハー気質満開で「見に行こうぜ!」と女性たちを誘っています。時々思うんですけど、古文に登場するお坊さんたちって、ノリがいいですよね。現代のお坊さんたちの中にも、ロックコンサートを開く方がいたり、ノリはそれぞれだと思いますが、およそ「僧侶」に連想される落ち着きはらった悟りの境地にいる人のイメージから遠い坊さんが古文にはよく出てくるなぁ、と思いませんか。

 源氏のことを「光る源氏」と呼んでいますが、変換ミスではありません。「光源氏」がフルネームなのではなく、「光」はもともと「光りかがやく君」と呼ばれたことからくる形容詞なんですよね。

 ノリノリな坊さんの呼びかけに応えて女性たちが自分を見に来るぞ、と察した源氏はとっとと退却してます。つつ、偶然見かけた美女を思い出して幸福感に浸っているようです。自分が「すき者」である自覚はあるようです。誰もが「すき者」である必要はないと思いますが、こうして嬉しいことをつくづく思い出して幸せな気持ちになれるというのは、大事なことですよね。日頃気分が沈む経験や腹立たしい出来事が頭の中を占めてしまうような時でも、大なり小なり幸せな記憶を呼び起こして自分を慰められたら、いいと思います。眠れない時も楽しいことを思い出すといい、と元SMAPのクサナギくんが言ってました。

 守備範囲の広さには定評のある光源氏ですが、祖母と孫である尼君と若紫両人とも射程内に納めています。若紫のことを、藤壺の代わりに、と考えていますが、父・桐壺帝の中宮、つまり奥さんである藤壺に想いを寄せる源氏は、このとき里に下がっているとかで会えないその人にちょっと似てる若紫に惹かれてしまったのですね。実は若紫の父親が藤壺の兄なんですって。若紫は藤壺の姪なんですね。似てるワケです。

 源氏が幼女の面影で胸をいっぱいにしたところで、この章はとりあえず終了です。続きとか、ここに至る前とか、描く機会があればまたいずれ。

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材料は古着や古布。
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マスクの備蓄はまだあるんです。最近あまり外出もしないので減らないし。単に作りたかったので作りました。こういう事態になると、不恰好なマスクでも恥ずかしくなく使えますしね。
posted by juppo at 18:23| Comment(2) | 源氏物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月19日

若紫(北山のかいまみ)D

日々、不安や不満や不便が募る一方ですが、できる限り穏やかに、健康的に過ごしたいですね。続きです。
〈本文〉
またゐたる大人、「げに」とうち泣きて、

 初草(はつくさ)の生ひゆく末(すゑ)も知らぬ間に
   いかでか露の消えんとすらむ

と聞こゆるほどに、僧都(そうづ)あなたより来て、「こなたはあらはにやはべらむ。今日(けふ)しも端(はし)におはしましけるかな。この上(かみ)の聖(ひじり)の方(かた)に、源氏の中将の、瘧病(わらはやみ)まじなひにものしたまひけるを、ただ今なむ聞きつけはべる。いみじう忍びたまひければ知りはべらで、ここにはべりながら御とぶらひにもまうでざりける」とのたまへば、「あないみじや。いとあやしきさまを人や見つらむ」とて簾(すだれ)おろしつ。
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〈juppo〉前回は出てきませんでしたが、この場面には尼君と若紫の他に何人か、大人や子どもがいたんです、そういえば。その中の一人が、前回尼君が詠んだ和歌に返歌をしています。
 そこへまた唐突に坊さんが登場します。この坊さんの言う「この上の聖」云々についても、以前描いています。 「瘧病」についてもそちらで説明しています。「おこり」とか「熱病」とか、今でいう「マラリア」などと解釈されます。源氏がその「おこり」の治療に行者に会いに行った、その帰りのエピソードだったんですね〜このシーンは。
 超お忍びで来たからこの坊さんは知らなかったと言いつつ、もう聞き及んでお知らせにあがった模様です。
 「人や見つらむ」と慌てて簾を下ろす尼君です。源氏が来てるということは、関係者もいて人の通りも多いかもしれない、ということを心配したのかな、と思います。源氏本人が覗いているとは恐らく、知る由もないかと。


 さて普段通りの活動ができない今、「おうちで〇〇」が盛んですね。動画などを見ながら運動したり踊ったり、皆さんもしていますか。
 私が師事するバレエの先生も、この度YouTuberデビューなさって動画の配信を始めましたのでご紹介します。ストレッチの参考になれば。

https://www.youtube.com/watch?v=hPhXIUW5qxc

https://www.youtube.com/watch?v=wVIwSmMolhs

私はこれでYouTubeもテレビ画面で視聴しています。
posted by juppo at 13:29| Comment(0) | 源氏物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月12日

若紫(北山のかいまみ)C

ずっと家にいると、寝る時間がどんどんずれてきますね。通販にハマったりしていませんか。私は危ういです。引き続き「源氏物語」です。
〈本文〉
 尼君、髪をかき撫(な)でつつ、「梳(けづ)ることをうるさがりたまへど、をかしの御髪(ぐし)や。いとはかなうものしたまふこそ、あはれにうしろめたけれ。かばかりになれば、いとかからぬ人もあるものを。故姫君は、十ばかりにて殿に後(おく)れたまひしほど、いみじうものは思ひ知りたまへりぞかし。ただ今おのれ見棄(みす)てたてまつらば、いかで世におはせむとすらむ」とていみじく泣くを見たまふも、すずろに悲し。幼心地(をさなごこち)にも、さすがにうちまもりて、伏し目になりてうつぶしたるに、こぼれかかりたる髪つやつやとめでたう見ゆ。

 生(お)ひ立たむありかも知らぬ若草を
   おくらす露ぞ消えんそらなき
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〈juppo〉前回までお届けした「明石の姫君の入内」にも登場した、紫の上の幼少時代のお話です。このころは「若紫」と呼ばれます。「わかむらさき」と読んでみると、なんだかご飯のお供を思い出します。それは「江戸むらさき」。
 タイトルがいきなりCなのは、以前Bまで描いたからです。スズメを逃がされて半泣きの若紫が初登場、というところまで描いて、詳しい訳が見つかったら続きを描くとかなんとかなまま、いつものように放置していました。

 最近、このブログを書籍化してくださっているKSTプロダクションの時岡さんが、漫画にする古文の原文を手配してくれるので、リクエストされて漫画化していない作品のリストを送って原文を入手したところ、そのリストに入れてないのにこの原文が送られてきたのです。「お描きやす」ということかな、と忖度して描きました。

 以前描いた前半で、若紫と尼君をつくづく覗き見る源氏は「この尼の子」だと判断していました。今回やんわり判明しますが、若紫は尼の孫のようです。「故姫君」が尼君の娘なんですね。

 最後の和歌、「ありか」とは若紫が成長したのちに嫁ぐ相手のことで、「若草」と「露」は縁語になってます。「若草」が若紫を、「露」が尼君自身のことを意味しているのですね。

 続きます。Eまであります。
posted by juppo at 02:02| Comment(0) | 源氏物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする