2023年11月21日

道真左遷C

朝晩すっかり寒くなりました。まだ日中は汗ばんだりもするんですけどね。寒暖差に負けないよう、踏みとどまっています。続きです。
〈本文〉
月のあかき夜(よ)、

 海ならずたたへる水のそこまでにきよき心は月ぞ照らさむ

これいとかしこくあそばしたりかし。げに月日(つきひ)こそは照らしたまはめとこそはあめれ」
 まことに、おどろおどろしきことはさるものにて、かくやうの歌や詩などをいとなだらかに、ゆゑゆゑしういひつづけまねぶに、見聞く人々、目もあやにあさましく、あはれにもまもりゐたり。もののゆゑ知りたる人なども、むげに近く居(ゐ)寄りて外目(ほかめ)せず、見聞くけしきどもを見て、いよいよはえてものを繰り出(いだ)すやうにいひつづくるほどぞ、まことに希有(けう)なるや。繁樹、涙をのごひつつ興(きよう)じゐたり。
 「筑紫におはします所の御門(かど)かためておはします。大弐(だいに)の居所(ゐどころ)は遥かなれども、楼(ろう)の上の瓦(かはら)などの心にもあらず御覧じやられけるに、またいと近く観音寺(くわんおんじ)といふ寺のありければ、
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〈juppo〉筑紫での道真さんの様子が語られ始めますが、ほぼ詠んだ歌や詩で構成されています。そして今回から、やにわに世継が脚光を浴びてワンマンショー状態になっています。
 道長が書いたものが残っているのでそれらを組み立てて書かれた物語なんですよね。そこここに脚色も入っています。前回、駅長に詠んだ詩がありましたが、あれも後付けらしいです。明石の駅長と親しかったところまでは事実ですが、あの詩のような境地にその時道長が達していたかどうかは疑わしいと。駅長を励ますどころではなかったのでしょうか。

 失意のどん底にいるばかりでなく、左遷されてからはあまり良い生活を送れなかったようなので、今回から着衣が少しくたびれた感じになってもらいました。

 世継の爺さんは相当年をとっているだけあって博識で、昔のことを逐一正確に覚えていて語る人なんですね。話も上手くて、聴衆を惹きつける人気者のようです。「おどろおどろしき」とは恐ろしいということではなく、おおげさなという意味です。

 聞き手の中に突如登場した繁樹、この爺さんも「雲林院の菩提講」に出ていた人です。夏山といえば繁樹、と名付けられた人でした。

 安楽寺は筑紫での道長の住まいで、大弐とは大宰府の役人の偉い人らしいです。「大弐の居所」イコール「大宰府」なんですね。この時の大弐が藤原興範という人だったというだけで、その人は出てきません。

 次回以降も、聞けば聞くほどお気の毒な道真さんの身の上を、世継が面白おかしく語ります。お楽しみに。
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2023年11月13日

道真左遷B

順調に第三回ですが、先は長いです。続きです。
〈本文〉
都遠くなるままに、あはれに心ぼそく思されて、

 君が住む宿のこずゑをゆくゆくとかくるるまでもかへり見しはや

また、播磨国(はりまのくに)におはしましつきて、明石の駅(むまや)といふ所に御宿りせしめたまひて、駅の長(をさ)のいみじく思へるけしきを御覧じて、作らしめたまふ詩、いとかなし。

 駅長莫驚時変改
 一栄一落是春秋
 
 駅長(えきちやう)驚クコトナカレ、時ノ変改(へんがい)
 一栄一落(いつえいいつらく)是(こ)レ春秋(しゆんじう)

かくて筑紫におはしつきて、ものをあはれに心ぼそく思さるる夕(ゆふべ)、をちかたに所々(ところどころ)煙(けぶり)立つを御覧じて、

 夕されば野にも山にも立つ煙なげきよりこそ燃えまさりけれ

また、雲の浮きてただよふを御覧じて、

 山わかれ飛びゆく雲のかへり来るかげ見る時はなほ頼まれぬ

さりともと、世を思し召されけるなるべし。
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〈juppo〉前回、山崎てところで出家した道真さんを描きましたが、その時にも書いたように出家したかどうかは不明なようなので、元の姿に戻ってもらいました。
 ここからいよいよ都を追われる悲しさ寂しさ全開の道真さんになっていくのですが、筑紫まで一人旅をしているわけではないんですよ。朝廷の命令による移動ですからついて来る役人もいるし、前にも言いましたが小さい子どもたちは連れてってるんです。ただ少なくとも楽しい旅路ではなかったでしょうから、敢えてそうしたわけでもないですが、道真さんがトボトボ行くような絵になりました。

 そんなことより駅長ですよね。駅と言ってももちろん鉄道の駅ではありません。「むまや」と読みますし。
 昔は遠出には馬に乗りましたので、程よい距離ごとに馬を繋いで泊まる「駅」があったのですね。そこを管理している人です。その人がどんな風体だったかわからなかったので、面白いから駅長さんになってもらいました。フィクションですよ。念のため。

 道真さんは何か思うたびに歌を詠んでいますが、漢詩も作っています。「詩」と言っているのは全て漢詩です。
 折々詠んだ歌や詩は、のちにまとめられて現在まで残っているのですが、大臣をしていた頃に書いた文書なども残っているんですね。とにかくたくさん書く方だったようです。さすが学問の神。

 1コマ目で詠んでいる歌の「君が住む」の「君」とは、道真と信頼で結ばれていた宇多法王のこと、という説と奥さんだとする説があるそうですが、ふり返りふり返り見ちゃうんだからやっぱり奥さんかな、と思いました。
 どちらにせよ、そんな気持ちで旅立つなんて、寂しい道のりですね。駅長さんには励ますように事の道理を説いていた道真さんも、夕方になったり、ふと空を見たりすると、いろいろ思い出して切なくなってしまうのですね。単に寂しいだけでなく、納得できない我が身の上の不遇への嘆きも、そこにはあるわけですからねー。
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2023年11月06日

道真左遷A

11月になったのに暖かいです。暖房費が浮くのは何よりです。続きです。
〈本文〉
 この大臣(おとど)、子どもあまたおはせしに、女君(をんなぎみ)たちは婿とり、男君(をとこぎみ)たちは皆、ほどほどにつけて位どもおはせしを、それも皆方々(かたがた)に流されたまひてかなしきに、幼くおはしける男君・女君たち慕ひ泣きておはしければ、「小さきはあへなむ」と、おほやけもゆるさせたまひしぞかし。帝の御おきて、きはめてあやにくにおはしませば、この御子(みこ)どもを、同じ方につかはさざりけり。かたがたにいとかなしく思し召して、御前(おまへ)の梅の花を御覧じて、

 こち吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春をわするな

また、亭子(ていじ)の帝に聞えさせたまふ、

 流れゆくわれはみくづとなりはてぬ君しがらみとなりてとどめよ

なきことにより、かく罪せられたまふを、かしこく思し嘆きて、やがて山崎にて出家(すけ)せしめたまひて、
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〈juppo〉有名な歌が出てきました。京都から福岡まで梅の香りを送ってね、と木にお願いする道真さん、流れをせき止めて流される私を止めて、と法王に頼む道真さんです。「しがらみ」とは川の中に杭と竹を縦横に結んだものを刺して、水をせき止める仕掛けのことだそうです。

 今回漫画にするのに悩んだのは、朝廷が「小さきはあへなむ」と温情を寄せたのに、そのあとに「この御子たちを同じ方につかはさざりけり」とあるので、結局子どもたちは連れて行けたの?行けなかったの?ということなのです。小さい子を連れて行ったのが史実のようなので、「この御子たち」というのは大きい人たちの方を指すのだな、と解釈しました。
 もう一つ、筑紫への道中でいきなり道真さん出家してますけど、実際出家したかどうかは不明らしいんです。文中にそうあるので出家したような絵にしましたが、事実と違う!とクレームが来ても私のせいではないんです。
 この後に出てくるシーンでも、ちょっとドラマチックに盛っているらしい場面があるようですが、そこまでしなくても十分に同情せずにいられない道真さんの境遇ですよね。

 ここまででかなり気の毒な展開ですが、まだまだ続きます。


 
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2023年10月29日

道真左遷@

10月になりました、と書こうと思っていましたが、もうすぐ11月です。リクエストにお応えします。「大鏡」です。
〈本文〉
 この大臣(おとど)は、基経(もとつね)のおとどの太郎なり。御母、四品弾正尹人康(しほんだんじやうのゐんさねやす)の親王(みこ)の御女(むすめ)なり。醍醐の帝の御時、この大臣、左大臣の位にて年いと若くておはします。菅原のおとど、右大臣の位にておはします。その折、帝御年いと若くおはします。左右(さう)の大臣に世の政(まつりごと)を行ふべきよし宣旨(せんじ)下さしめたまへりしに、その折、左大臣、御年二十八九ばかりなり。右大臣の御年五十七八にやおはしましけむ。ともに世の政をせしめたまひしあひだ、右大臣は才(ざえ)世にすぐれめでたくおはしまし、御心おきても、ことのほかにかしこくおはします。左大臣は御年も若く、才もことのほかに劣りたまへるにより、右大臣の御覚えことのほかにおはしましたるに、左大臣やすからず思(おぼ)したるほどに、さるべきにやおはしけむ、右大臣の御ためによからぬこと出できて、昌泰(しやうたい)四年正月二十五日、大宰権帥(だざいのごんのそち)になしたてまつりて、流されたまふ。
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〈juppo〉「大鏡」は道長のカッコイイ話で出来ていると思っていましたが、今回は道真です。菅原道真といえば学問の神様で、太宰府天満宮や菅原神社に祀られている方ですね。さらに、「天神様の細道じゃ」の天神様のことでもあるんですね。今回いろいろ調べている中で今さら知りました。余談ですが私は七五三のお祝いを菅原神社でしました。
 
 いろいろ調べていると、道真さんちはお父さんもお祖父さんも、その上の代までさかのぼっても代々頭が良くて学者身分だったらしいです。伊達に学問の神にはならないようです。左大臣は若いからどころでなく到底並べるレベルではなかったのでは。

 その道真さんが、大臣の位から転落して左遷されて筑紫に流されるお話です。
転落の顛末「よからぬこと」というのは、宇多上皇と醍醐天皇からの信任で政治を丸ごと任されそうになった道真がこれを断ったのを左大臣時平が妬んで、他の何名かと共謀して「道真は自分の娘婿を親王に立てようとして帝位を狙っている!」とでっち上げたのだそうです。要するに、ハメられたんですねー悲劇ですねー。

 初回ですでに貶められて、左遷が決まった道真さんです。どこまで描けば良いかわからないまま、8回分くらい用意しましたので、左遷されてからの生活も次回からお届けします。

 あ、そうそう1コマ目で語り始めたお爺さんは大宅世継という、「大鏡」の語り部です。「雲林院の菩提講」で登場してるんですけど、自分で描いたキャラがうろ覚えなので今回も過去の記事を見直しながら描きました。
 
posted by juppo at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 大鏡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年09月04日

鴻門の会I

9月になりました。最終回です。
〈本文〉
居数日、項羽引兵西、屠咸陽、殺秦降王子嬰、焼秦宮室。火三月不滅。収其貨宝、婦女而東。
〈書き下し文〉
居(を)ること数日、項羽(かうう)兵を引きて西し、咸陽(かんやう)を屠(ほふ)り、秦の降王(かうわう)子嬰(しえい)を殺し、秦の宮室(きゆうしつ)を焼く。火三月(さんげつ)滅せず。其(そ)の貨宝(くわほう)、婦女を収めて東す。
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〈juppo〉最終回がたったの4コマですみません。しかもここだけ後日談です。鴻門でも会でもないし、この部分はネット上の学習サイトでも切られていたりして、白文を探してYahoo!知恵袋まで行ってしまいました。質問したわけではありません。

 項王は「鴻門の会」の前にも酷いことをしていたようですが、その後でも酷いことをし続けてますね。
 沛公さん(劉邦)は秦の王になった子嬰を殺さず、人民にもゆるいルールを約束していたのに、項王(項羽)はことごとくそれらを勝手に反故にして、やりたい放題です。手に入れるものを手に入れて、ほくほく顔で終わります。天下を取った心境でしょうね。
 この時、紀元前206年です。項羽は紀元前202年、劉邦は紀元前195年まで生きたようです。と、いうことは、項羽の命はあと4年ですね。わが世の春は短い運命のようです。ああ〜、そういえば「項王の最期」は以前描きました。ラス前の「四面楚歌」も描いてます。ついでに興味を覚えた方は参照してください。
 自分でも忘れているほど、いろいろ描いてきたものだなぁと思いますが、まだまだ古文、漢文の作品はいくらでもありますよね。汲めども尽きない古典の泉。その中でどれほどの作品を漫画にできるのでしょう。気が遠くなりますね。

 準備から時間をかけて、異例に暑すぎる夏の間もずっと、紀元前の中国を旅していたようなこの作品とも今日でお別れです。続きとか、その前とか、またリクエストいただいたら描きます。

 でも次回は多分、「大鏡」です。
posted by juppo at 00:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 漢文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする