2018年12月31日

忠度(ただのり)の都落ち@

紅白を見つつ。大変ご無沙汰いたしました。「平家物語」です。リクエストにお応えします。
〈本文〉
薩摩(さつま)の守(かみ)忠度は、いづくよりや帰られたりけん、侍(さぶらい)五騎、童(わらわ)一人(いちにん)、わが身ともに七騎取つて返し、五条の三位(さんみ)俊成(しゆんぜい)の宿所におはして見たまへば、門戸を閉ぢて開かず。「忠度。」と名のりたまへば、「落人(おちうど)帰り来たり。」とて、その内騒ぎ合へり。薩摩の守馬よりおり、みづから高らかにのたまひけるは、「別(べち)の子細候はず。三位殿に申すべきことあつて、忠度が帰り参つて候。門を開かれずとも、このきはまで立ち寄らせたまへ。」とのたまへば、俊成の卿、「さる事あるらん。その人ならば苦しかるまじ。入れ申せ。」とて、門(かど)をあけて対面あり。事の体(てい)何となうあはれなり。
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〈juppo〉3冊目の書籍発売のお知らせをサクッとして以来、更新しないまま平成30年が暮れてしまうかと思いました。ギリギリセーフで今年最後の更新です。
 「平家物語」はどうも苦手で、あれ、この前「源氏物語」の時もそんなことを言ってましたね。有名な作品ほど敷居が高いんですね。

 リクエストもこのタイトルでいただき、手元にある訳本のタイトルもこれなので「忠度」としていますが、いろいろ調べているうちに「忠教」「忠則」という表記も見ました。どのタダノリさんですか。とりあえず忠度さんで描きました。平清盛の末弟だそうです。「木曽の最期」の、あの木曽義仲がまだ平家を追い散らしていたころ、てんでに都落ちした平家の皆さんの中にいた方のようです。
 タイトルも「都落ち」ですし、都落ちはしている最中のようですが、ふと思い立って都に用を足しに戻って来たところです。ですからここは都です。

 「五条の三位俊成」は藤原俊成のことで「千載和歌集」の撰者だった人です。俊成は「としなり」でも「しゅんぜい」でも良いようです。私は「としなり」と思って描いてます。藤原定家のお父さんです。五条は住んでいるところ、三位は官位です。

 さてその俊成さんに何の用があって引き返して来た忠度さんであったのか、以下次号、です。全部で4回になります。もう4回分描いてあります。そんなで余計にお待たせしてしまいました。


 今年も残すところあと1時間を切ってしまいました。
皆さん、今年もブログに来てくださってありがとうございました!
無事3冊目の本を出すことが出来、ブログも続けていられて、去年と同じように紅白を見ながら年越しを迎えている、幸せな2018年でした。
 来年の目標は大してないんですけど、続けて本が出せたら最高ですね。そのためにももっと頑張らないと、と思っています。自分の本なのに本が届くまで知らなかった箇所がある・・なんて情けない自分を来年は何とかしたいと思います。

 それでは皆さま良いお年を!
 続きは新年すぐに!!
posted by juppo at 23:33| Comment(0) | 平家物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月03日

11月20日発売のお知らせ

 3冊目の本が出来上がりました!

 11月20日発売です!!

 なかなか本屋さんでは見かけないと思いますので、よろしければ下のリンクをぽち、としてくださいませ。


posted by juppo at 23:16| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月28日

須磨の秋A

お待たせしました!続きです。
〈本文〉
げにいかに思ふらむ、わが身ひとつにより、親はらから、片時たち離れがたく、ほどにつけつつ思ふらむ家を別れて、かくまどひあへる、とおぼすにいみじくて、いとかく思ひしづむさまを心ぼそしと思ふらむとおぼせば、昼は何くれとうちの給ひまぎらはし、つれづれなるままに、いろいろの紙を継ぎつつ手習ひをしたまひ、めづらしきさまなる唐(から)の綾(あや)などにさまざまの絵(ゑ)どもをかきすさび給へる屏風(びやうぶ)の面(おもて)どもなど、いとめでたく見所あり。人々の語りきこえし海山のありさまを、はるかにおぼしやりしを、御目に近くては、げにをよばぬ磯のたたずまひ、二(に)なくかき集め給へり。「このごろの上手(じやうず)にすめる千枝(ちえだ)、常則(つねのり)などを召してつくり絵仕(つか)うまつらせばや」と心もとながりあへり。なつかしうめでたき御さまに、世のもの思ひ忘れて、近う馴れ仕うまつうるをうれしきことにて、四五人ばかりぞつとさぶらひける。
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〈juppo〉前回から何やら悩んでいる光源氏でしたが、今回も冒頭から悩んでいます。自分に仕えてくれている人たちの心情にまでシンクロして思い悩んでいます。さらに、自分がいじいじ悩んでいると周りの人が気を遣うのではと悩んでいるようです。いい人ですね、光源氏。モテるだけのことはありますね。その上、手慰みに始めたらしき絵や書にも才能を発揮しています。モテ男に死角なし、な場面ですね。
 前回は琴を弾くシーンもありましたが、そこで歌っていたのは物語中唯一、オリジナルの和歌なんですって。それ以外はほとんど、催馬楽(さいばら)という平安時代に流行っていた歌謡を歌っているらしいです。
 ・・という情報を、前回書くつもりで忘れていました。

 5コマ目で、都の人が海や山の様子を話していますが、これは『若紫』の中でこういうシーンがあるそうですね。知らずに描いています。いずれその場面も漫画にする日が来るのでしょうか。

 千枝と常則は村上天皇時代の絵師だそうです。常則さんは飛鳥部常則という名で、「栄華物語」にも登場しているとか、絵は残ってないけど評伝は伝わってるんですね。一方、千枝さんについての詳細は不明のようです。
 ともかく、そういう有名な画家を呼んできて、源氏の描いた線画に着色させてみたいものだ、と皆で褒めているところです。褒めているのかサービスコメントなのか、真偽はわからないですけど、ずっとお仕えしていた人たちのことですから、本気の賞賛なんでしょう。本文の「四五人」はもちろん、四、五人のことで四十五人ではありません。
 

P.S. ame先生、ありがとうございました!
posted by juppo at 18:25| Comment(0) | 源氏物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月16日

須磨の秋@

リクエストにお応えします。久しぶりに『源氏物語』です!!
〈本文〉
 須磨には、いとど心づくしの秋風に、海はすこし遠(とほ)けれど、行平の中納言の、関吹き越ゆると言ひけん浦波、よるよるはげにいと近く聞こえて、またなくあはれなるものは、かかる所の秋なりけり。
御前にいと人少なにて、うち休みわたれるに、ひとり目をさまして枕をそばだてて四方(よも)の嵐を聞き給ふに、波ただここもとに立ちくる心ちして、涙落つともおぼえぬに枕浮くばかりになりにけり。琴(きん)をすこし掻き鳴らし給へるが、我ながらいとすごう聞こゆれば、弾きさし給ひて、

 恋(こひ)わびてなく音(ね)にまがふ浦波は思ふかたより風や吹くらん

とうたひ給へるに、人々おどろきて、めでたうおぼゆるに、しのばれで、あいなう起きゐつつ、鼻を忍びやかにかみわたす。
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〈juppo〉『源氏物語』は苦手です。初巻の「桐壺」くらいなら何とかついていけるのですが、この辺のお話になると、今どのくらいの時期で源氏と誰が何をどうしているのか、さっぱりです。
 とりあえず、源氏は主人公ですよ。画像名はsmaですが、主人公は光源氏です。今さら紹介されてないですけど。
そして「須磨」とは今の神戸市須磨区に当たる、地名なんですね。
 
 なぜ源氏一行が須磨にいて、やたら悲しそうなのかもさっぱり分からないまま実は描いていましたが、今ちょっと調べたら、朧月夜との恋愛のために追い詰められた源氏が都から須磨に退去することになったとか何とか、だそうです。朧月夜はそういうわけで女性の名前ですね。源氏にはすでに息子がいて、その息子のためにも退去を決意したとか。このブログでご紹介している『源氏物語』は「若紫」ぶりなので、その時からはだいぶ時間が経っているようです。

 行平の中納言とは在原行平という人のことで、須磨に蟄居させられた経歴があり、そこで詠んだ歌が古今集などに入ってるんですね。「関吹き越ゆる・・・」の歌は、
 秋風の関吹き越ゆるたびごとに声うち添ふる須磨の浦波
というのだそうです。
 5コマ目は、涙の海に枕が浮いている様子を描いていますが、「枕浮く」という語が「枕が浮いてしまうほどたくさんの涙を流す」というような意味なのでその意味通りの絵にしただけで、実際にはこんなことは起こってないと思います。漫画とはそういうものですよね。

 描いてる本人があまり良くわかってないまま描いてるので、説明もおぼつかないですが、何しろ「源氏の身の上」とは都に残した愛する人や親しい人たちを思い出して悲しんでる身の上かな、なんて思って読んでください。
 続きがあります。もう1回。少しお待ちください。


 ところで!
前回の記事に書くつもりですっかり忘れてしまったまま、お知らせするのが1ヶ月遅くなってしまったのですが、お知らせです!

 『高校古文こういう話』の書籍化第三弾が発売になります!!

 ありがとうございます。皆さんのおかげで3冊目の本が出ます。発売日は11月中だと思われます。続報もお待ちください。
posted by juppo at 02:30| Comment(4) | 源氏物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月16日

市振A

続きです。そんなにお待たせしませんでしたよね?
〈本文〉
あした旅立つに、我々に向かひて、「行方知らぬ旅路の憂さ、余りおぼつかなう悲しくはべれば、見え隠れにも御跡を慕ひはべらん。衣の上の御情けに大慈(だいじ)の恵みを垂れて結縁(けちえん)せさせたまへ。」と涙を落とす。
「ふびんのことにははべれども、我々は所々にてとどまるかた多し。ただ人の行くにまかせて行くべし。神明の加護必ずつつがなかるべし。」と言ひ捨てていでつつ、哀れさしばらくやまざりけらし。

 一つ家(や)に遊女も寝たり萩(はぎ)と月

曽良(そら)に語れば書きとどめはべる。
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〈juppo〉昨夜、隣の部屋の遊女たちの話し声を聞きながら寝た、そのあくる朝です。
その遊女たちが「新潟という所の遊女だった」ということがわかっていたので、今回、遊女たちのセリフは現代語に訳してからさらに新潟弁に翻訳してみました。と言っても、私は新潟弁ネイティブでないので、調べ調べ訳したもので、違和感があったらご指摘ください。

 同行してきた男は新潟に返してしまったようで、女二人で知らない道を行くのが心細いと芭蕉さんたちに「付いて行っていいか」とお願いしてるんですけど、ここでは彼女らは芭蕉さんたちのことをお坊さんだと思っています。芭蕉さんたちが黒っぽい着物を着ていたからだそうです。
 そう言われても、俳句を詠みつつあちこち寄り道するので一緒には行けない、と芭蕉さんはつれなく断っています。じゃあ一緒に行きましょう、てなことになったら『奥の細道』の物語が後半だいぶ変わったものになっていたかもしれません。
 つれなく断っておきながら、哀れな遊女たちに同情を禁じ得ない芭蕉さんのようです。

 萩と月の句は、遊女と自分とを対比させて詠んだなんて説もあるようです。

 芭蕉さんが遊女と別れ際「無事に」という意味で「つつがなかるべし」と言っている、「つつがなし」という語ですが、漢字では「恙無し」と書きます。「恙」はもともと病気や災難など忌まわしいことを意味する言葉で、そんなことなく平穏に暮らす様が「恙無し」なのですね。
 ところで、ツツガムシという虫がいて、これに刺されると死にそうに苦しむそうで、それが「つつがなし」の語源だという説もあるようですが、それは違うんですって。
 虫にに刺されたとは分からないまま苦しんでいて、ツツガムシという妖怪のしわざだろうと呼んでいたのが、やがて原因がこの虫だ、ということがわかってからその虫(ダニの一種)を「ツツガムシ」と名付けたのだそうです。すでに「恙」という語があったからなんですね。
 私の友達が昨年末にツツガムシに刺されて、お正月を丸々病院で過ごしたとか悲惨な体験を聞いたのでこの話を特に書いておこうと思いました。症例自体あまりにも珍しいので、刺されたところを写真に撮られたとか、研究材料になっちゃったそうです。怖いですね〜。皆さんもツツガムシ含めダニには要注意、でつつがない毎日をお過ごしください。
posted by juppo at 22:24| Comment(4) | 奥の細道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする